ノムさんの愛称で親しまれ、野球の名監督として名を残した野村克也さん。
選手としても、監督としても、野球の解説者としても一流のノムさんでしたが生い立ちは壮絶なものだったと言われています。
満州で生まれ早くに父親を亡くし、母子家庭で極貧生活をしていたという野村克也さんの生い立ちについてまとめていきたいと思います。
野村克也の生い立ちが壮絶だった!
プロ野球選手として活躍していた時代の最高年収は5億円、選手・監督時代の年棒総額を合わせるとノムさんの稼いだ年俸の総額は
44億円
以上にもなると言われています。
野球人として一流の資産を築いた野村克也さんですが、意外にもその生い立ちは壮絶なもので金銭的にかなり苦労してきたということが語られています。
極貧生活の母子家庭で育ち劣等感の塊だった野村克也
引用:http://i-article01.com/
野村克也さんは食料品店を営む家に生まれましたが3歳の時に父親を亡くしており、以降母親・ふみさんに女手一つで育てられています。
兄弟は兄・嘉明さんが一人いましたが後に佐知代夫人のことがきっかけで絶縁状態となりました。しかし兄弟は晩年に和解しています。
父親は道端に落ちていた柿を食べて亡くなってしまったとのことで、野村さんは幼少時代は情けない思いをしたということを語られています。
母のふみさんは看護師をしていましたが、体が弱く野村さんが小学生の時に2度もがんを患い、まともに働くことができなくなり極貧生活となります。野村さんは生活費を稼ぐためになんと小学校1年生の時から兄と
・新聞配達
・アイスキャンディー売り
などのアルバイトを始めます。
小学校1年って、6歳とか7歳ですよね…。そんな年齢でアルバイトなんて聞いたことがありません。本当に生活が立ち行かない状態であったことが伺えます。
しかも当時ノムさん達が住んでいた網野町という地域は丹後ちりめんの産地であり、周りは裕福な家庭の子供が多かったそうです。
そんな中自分は小学校1年生から生活費を稼ぐ為にアルバイト…。これは相当メンタルがキツかったのではないでしょうか。
本当に苦労された幼少期だったんですね。
貧乏から抜け出す為に夢を抱いた野村克也
野村克也さんは、極貧生活を抜け出したいという思いで様々な夢を描くようになります。
最初から野球選手になることを目標にしていたわけではなく、目指した職業としては
- 俳優
- 歌手
- 野球選手
という職業だったようです。
俳優は容姿の面から諦め、歌手は高音がでない為諦め、残るは野球選手ということで当時プロ野球の大スターであった赤バットの川上哲治さん・青バットの大下弘さん・大友工投手などに憧れを抱くようになります。
野球は中学校2年の時から始めています。
意外にも、かなり遅い野球デビューだったんですね。
その後めきめきと頭角を現し中学3年時には4番に抜擢され、地方大会でも優勝を飾るなど実力をつけていきます。しかしバットを買うお金がなく、瓶に海水を入れて素振りをしていたというエピソードも語られています。
貧乏だった為働くことを望んだ母親の反対を押し切り、高校へ進学して野球部に入部しました。
高校時代は無名選手→プロ野球界入り
野球の名門高校に通っていたわけではない野村さんは、高校時代は無名の選手でプロ野球とも程遠い位置にいました。
しかし1954年、見事にプロ野球界入りを果たします。
入団した球団は「南海ホークス」でした。元々巨人ファンだった野村さんは巨人でプレーすることに憧れを抱いていましたが、自身の状況的には厳しさを感じ、捕手が高齢化していた南海であれば活躍できると予測しました。
自ら志願の手紙を書き、当時学校まで赴いてくれた南海の鶴岡監督の目の前でランニングホームランを放ち見事テストに合格したのでした。
ちなみにこのホームランが野村さんが唯一高校時代に打ったホームランであると言われています。凄まじい強運ですよね!
そんな野村さんは、1年目のオフに戦力外通告を受けることになります。
しかし秋季キャンプ中にチームの正捕手が交通事故、2番手捕手が高橋ユニオンズにトレード、3番手捕手が怪我をします。
「好かれなくても良いから、信頼はされなければならない。嫌われることを恐れている人に、真のリーダーシップは取れない」野村克也(元プロ野球選手・監督) pic.twitter.com/d4ncQbAL7M
— スポーツ名言あれこれ (@athletes_quote) June 25, 2020
そこで野村さんは、「もしここでクビになるようなら生きていけません。」と交渉し、担当マネージャーに「お前のようなやつは初めてだが、若いうちなら人生はやり直せる。お前は活躍できないんだぞ。俺の目は確かだ。」と苦言を言われしまいます。
しかしまたしても、凄ましい粘りと強運で残留を勝ち取ります。
野村さんがが正捕手に定着したのは、3年目の時にハワイ春季キャンプの時に、一軍に抜擢され活躍したことがきっかけでした。
正捕手に定着した野村さんは30本のホームランを打ち、本塁打王を獲得しました。
また8年連続本塁打王も達成します。
8年連続でホームラン王ってすごいですよね!
今までたくさんの野球選手がいましたが、その中で2番目の歴代通算成績ということになります。ちなみに、1位はあの「王貞治」選手が本塁打数、打点数、「張本勲」選手が安打数歴代1位に輝いています。
野村克也のプロフィール
名前:野村 克也(のむら かつや)
生年月日:1935年6月29日
没年齢:84歳没
出身地:京都府竹野郡
身長:175㎝
体重:85キロ
おしどり夫婦としても有名だった野村沙知代さんと野村克也さんですが、実はW不倫の末の再婚でした。
二人が出会ったのは、野村さんが36歳、沙知代さんが38歳の時になります。当時南海(現・ソフトバンク)ホークスの選手と監督を兼ねていた野村さんは、訪れた行きつけの中華料理店のママから、たまたま来店していた沙知代さんを紹介されたのが馴れ初めです。
二人の付き合いは快く思われておらず、球団のお偉方に「仕事を取るのか、女を取るのか」と迫られた野村さんですが、仕事はほかにもあるけど、彼女は一人しかいないと思い、「女を選びます」と、野球よりも佐知代さんを選んだ野村さん。
不倫の末でしたが、奥様を最後まで愛していらっしゃいましたね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。たくさんの伝説を残してきた野村克也さん。2020年2月に突然死去された悲報に世間は悲しみに暮れました。