”朝ドラ”の愛称で親しまれているNHK連続テレビ小説。2020年3月30日月曜日から『エール』が放送開始となります。
モデルは【心に届け 君への応援歌!】とし「栄冠は君に輝く(全国高等学校野球選手権大会の歌)」「六甲おろし(阪神タイガースの歌)」「闘魂こめて(巨人軍の歌)」などの応援歌を多数手がけた、昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)さん。
そして妻で歌手として活躍された金子(きんこ)さんで、音楽と共に生きたおしどり夫婦の物語です。連続テレビ小説のモデルに起用された夫婦とは、どのような人生を歩んできたのでしょう。まとめてみたいと思います。
朝ドラ「エール」の主人公のモデルは古関裕而
新たに始まる朝ドラ『エール』。『エール』というタイトルを直訳すると【声援・励まし】という意味ですが、東日本大震災から10年目という節目に【福島を応援したい】という思いを込めて企画されました。
そこで福島出身の偉人であり数多くの応援歌を作曲された古関裕而さんが、注目されました。古関裕而さんの出身地である福島市は、連続テレビ小説の誘致に向け2014年から活動しており、ドラマ実現に繋がりました。
引用元:https://navicon.jp/news/58108/
2020年3月現在、2011年3月11日に発生した東日本大震災から9年が経ちましたが、いまだに完全復興とは言えない状況にあります。復興し日常は取り戻したものの心の傷は癒えないまま、葛藤しながら日々の生活を送っている方たち。
そのような被災された多くの方たちへ、古関裕而さんからの数々の応援歌を通してのメッセージが、チカラとなってくれるドラマになるのではないでしょうか。
激動の時代を作曲家として生きた古関裕而の生い立ちは?
幼少期〜高校時代
古関裕而さんは、明治42年(1909年)福島市大町あった呉服店「喜多三」に長男として生まれました。お父さまが元々音楽好きで、当時ではまだ珍しかった蓄音機を購入し、幼少期からレコードで音楽を楽しむ日々を過ごしたことから、音楽が好きになりました。
引用元:http://stylekoriyama.com/special/burattoodekake/2019/05/25/y-koseki01/
そのような環境の中で育ち、ほとんど独学で作曲を志していくようになりました。民謡や吹奏楽が好きで、自ら作曲を始めたのは小学生の頃からだそうです。そのうちクラスメートが詩を作り、古関裕而さんへ作曲を依頼するようになり作曲の腕を上げていったようです。
小学生の頃から作曲なんてすごいですよね!頼まれたものが1つの曲として出来上がることの喜び、クラスメートからも喜ばれることが楽しかったのではないでしょうか。自分が楽しいと思えることで才能を発揮できるって、なかなか簡単にないですよね。
高校は旧福島商業学校(現:福島商業高等学校)に入学。家業の呉服店を継ぐために入学しましたが、勉強より作曲に夢中で常にハーモニカを携帯していたといいます。そんな高校生活の中、家業の呉服店は倒産してしまいます。
社会人となって〜妻との出会い
高校卒業後は、川俣銀行(現:東邦銀行川俣支店)に就職します。銀行員の傍ら、昔から憧れていた山田耕筰さんの事務所へ作曲した楽譜を郵送していたそうです。家業の呉服店倒産も、今思えば後の人生を大きく左右する出来事だったのかもしれませんね。
引用元:http://www.i-fukushima.jp/tokushu/archive/2015/23133/
その後、舞踊組曲『竹取物語』をロンドンにある、チェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに応募し入賞しました。この入賞は日本人初の国際的作曲コンクールで当時大変な話題となったそうです。
この入賞ニュースを読んだ、当時オペラ歌手志望だった内山金子(旧姓)さんが、古関裕而さんへファンレターを送ったことがきっかけで文通での交際が始まり、古関裕而さん20歳・金子さん18歳で交際半年というスピード結婚をされました。
引用元:https://www.city.fukushima.fukushima.jp/bunka-shinkou/kanko/bunka/yellepisode.html
古関裕而さんは誰もが認める愛妻家で、晩年までおしどり夫婦だったそうです。とあるニュースを読んだことがきっかけで結婚されるなんて、ドラマのような出会いですよね!
そして銀行員時代から慕っていた当時コロムビア顧問であった山田耕筰さんからの推薦で、コロムビア専属の作曲家として入社しました。入社の決断には、実家が倒産し経済的に破綻していたため家族を養わなくてはいけない、ということが理由の1つにあったようです。
古関裕而のプロフィール・経歴
引用元:https://nishinomiya.keizai.biz/photoflash/1745/
名前:古関 裕而(こせき ゆうじ)
本名:古關 勇治(こせき ゆうじ)
生年月日:1909年8月11日
没年月日:1989年8月18日(80歳没)
出身地:福島県福島市
〜代表作〜
『オリンピック・マーチ』
『栄冠は君に輝く』(全国高等学校野球選手権大会歌)
『六甲おろし』(阪神タイガース球団歌)
『闘魂こめて』(読売ジャイアンツ球団歌)
『青雲たかく』(中日ドラゴンズ初代球団歌)
デビュー後は「軍歌」や「応援歌」を多く作曲されています。その心中は「兵士たちが無事に帰ることを肉親は祈っているが、実際に何人が無事に帰れるのかと思うと万感が胸に迫り絶句し、ただ涙があるれてくる」と自伝で語られています。
古関裕而さんの作曲された軍歌は兵士たちを鼓舞するようなものではなく、兵士たちの疲れを癒やし気持ちを和ませてくれるようなものが多かったそうです。また戦争で亡くなった方を偲び、その家族を応援する気持ちも込められていたのでしょうね。
昭和39年に開催された東京オリンピックでは『オリンピック・マーチ』の作曲依頼を受け、その後世界から作曲者は誰?との問い合わせが殺到したそうです。これが世界の作曲家・古関裕而の誕生と言えるでしょう。
格式高い曲風で知られ、現在でも多くの作品が愛されています。生涯古関裕而さんが作曲した曲は5千曲にも及ぶそうです。作曲の際には楽器を一切使わず、頭の中だけで作成されたと言われています。
代表曲はどれもタイトルを聞くだけで、曲を思い出すほど有名な曲ばかりですね。5千もの曲を、楽器も使わずに頭の中だけで作曲されていたことには驚きです。才能と努力・何よりも作曲が好きという気持ちに勝るものはないですね。
古関裕而の妻は古関金子
妻は古関金子さん。前述のとおり運命的な出会いから結婚されています。金子さんは幼い頃から、音楽と文学が大好きでオペラ歌手を目指していたそうです。結婚後に帝国音楽学校・声楽部本科に編入し本格的に声楽の勉強を始めました。
引用元:https://www.asahi.com/articles/ASJBM54TWJBMOBJB00D.html
当時金子さんの声楽の才能は抜きん出ていたそうですが、子育てに専念するため学校を中退しています。自分の夢より、夫と子供を支えるという幸せを選択された女性です。
そして1980年、乳がんで68歳という若さで夫の古関裕而さんより先に亡くなられています。愛妻家でおしどり夫婦と言われていただけに、奥さまに先立たれた気持ちは計り知れません。
まとめ
応援歌の代表作曲家ともいえる古関裕而さん。その人柄は優しく、思いやりの気持ちが込められた楽曲は、今までもこれからも人々の心の支えになると思います。
ドラマでは、古関裕而さん役を窪田正孝さん。妻役を二階堂ふみさんが演じます。どのような夫婦を見せてくれるのか楽しみです♪
東日本大震災から10年目。そして各地でも様々な災害が起こっている中、復興に向かう日本。被災地の方はもちろん、日本国民へのエールとして勇気づけてくれるドラマとなることを期待しています!