2010年、アメリカにて卵子提供を受け、体外受精を実施。2011年1月6日、重い障害のある男児が誕生したことを発表した野田聖子さん。
野田聖子さんの子供は、誕生時に重い障害があり、初めのうちは障害学校に通っていました。しかし、2019年にはなんと普通学級の学校へ通っていることが判明!
この記事では、野田聖子さんの子供の難病について、障害学校から通常学校へ通うようになった経緯、2020年現在の子どもの様子についてまとめています。
野田聖子の子供は難病を抱えている
野田聖子さんは49歳で不妊治療に成功、50歳の誕生日の年に出産となりました。
野田聖子さんの息子の名前は野田真輝(まさき)くん。そんな野田真輝くんには、誕生前や誕生後に、多くの病気が発覚していました。
- 臍帯(さいたい)ヘルニア(誕生前)
- 心臓疾患(誕生前)
- 食道閉鎖症(誕生後)
- 脳梗塞(誕生後)
ここからは、誕生前と誕生後に分けて、病気についてまとめていきます!
誕生前に発覚した病気
野田真輝くんは誕生前、つまり野田聖子さんが妊娠時に、臍帯(さいたい)ヘルニアと心臓疾患の病気が発覚していました。
臍帯ヘルニアは、次のような病気です。
胎児のおなかの壁は,お母さんの子宮の中で胎生早期(3~4週)に作られますが、それが正しく作られないとおなかの壁に穴ができてしまい、赤ちゃんはへその緒(臍帯)の中に胃や腸,肝臓などが出たままの状態で生まれてきます。これを臍帯ヘルニアといいます。
記事引用:日本小児外科学会
臍帯ヘルニアの治療は、外に出ているヘルニア嚢(臓器を包んでいる膜)に包まれた臓器をおなかの中に戻すことが一般的です。
おなかの外に出ている臓器が少なければ、1回の手術で閉めることが可能ですが、出ている臓器が多い場合、何回かに分けて少しずつ臓器をおなかの中に入れ込む時もあります。
心臓疾患については、極型ファロー四徴症という病気が発覚。
120年前にフランスの医師ファローによって報告されたチアノーゼをともなう先天性 心疾患です。心臓の発生の段階で、肺動脈と大動脈の2つの大きな血管を分ける仕切りの壁が体の前方にずれたために起こる心臓の異常。
記事引用:難病情報センター
こちらは難病に指定されている病気で、先天性の心疾患で生まれつきのもの。治療の基本は心臓外科手術となっていて、生後6ヶ月から3才くらいに人工心肺装置を用いて手術が行われます。
誕生後に発覚した病気
出産後には食道閉鎖症という病気が見つかりました。
先天性食道閉鎖症は食道が途切れている病気です。5000人にひとり程度(日本では年間200人程度)発生する病気で、原因ははっきりしていません。あかちゃんの体がつくられてくる途中で、気管と食道が分離するときに何らかの異常が起きて発生するといわれています。
記事引用:日本小児外科学会
この病気のため、気管切開をした野田真輝くんは人工呼吸器を付けるようになりました。ちなみに気管を切開しため、このとき声を発することが出来なかったようです。手術は、10回以上も行われました。
その後、野田真輝くんは脳梗塞を併発。その入院期間は2年近くにもなり、入院中1回も退院経験がありませんでした。人工呼吸器を装着していたため、経口摂取は不可で右手右足に麻痺があった状態。身体に繋がれたチューブの数は、最大でなんと17本・・
小さな体で、一生懸命頑張っていました!
野田聖子の子供は障害学校から通常学校へ転校
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野田聖子さんは、野田真輝くんを預かってくれる保育園を探しますが、医療的ケアが必要な子供を預かってくれる施設は少なかったそうです。費用面でも、月50万円とかなりの高額。
そのため、野田聖子さんは自分で看護師を雇い、保育園に野田真輝くんを通わせることに!この頃には、自分で声を出せるようになっていたそうです(^^)また、歩けるようにもなっていたことから、かなり回復したことがわかりますね。
そして、2017年4月に野田真輝くんは東京都立青山特別支援学校に進学。2016年の時点では、身体障害一級(心臓疾患)と二級(脳梗塞右麻痺)に中程度の知的障害があることから、知的不自由児のクラスを選んだそうです。医療ケアのできる看護師を雇いながら一緒に学校に行っていました。
そしてなんと、2019年の春、3支援学級のある普通の小学校に転校しました。通っている小学校については、私立の小学校ではないかと思います。
野田聖子の子供は現在話せるようになった!
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野田真輝くんは、出来ることがどんどん増えてきているそうです。野田聖子さんのブログによると、スマホを触る姿や、掃除を手伝う姿が掲載されていて、普通の男の子と変わりない様子です。
自転車の練習の際は、「ママ〜ハンドル持って〜」と、少し可愛らしい一面も!普通の小学校に転校したこと、また健常者と触れ合う機会が増えたことが影響しているのでしょうか。今後もどんどんできることが増えていきそうですね!
野田聖子のwikiプロフィール
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名前:野田 聖子(のだ せいこ)
生年月日:1960年9月3日
年齢:[birth day=”19600903″]歳
出身地:福岡県北九州市
出身校:上智大学外国語学部
前職 :帝国ホテル従業員
公式ホームページ:http://www.noda-seiko.gr.jp/
公式Instagram:https://www.instagram.com/seiko.noda/
オリンピックの年にちなみ、聖子と名付けられた野田聖子さんは福岡県北九州市に誕生。祖父は国会議員を務めた野田卯一、曾祖父は「北浜の怪傑」と呼ばれた伝説の相場師である島徳蔵です。
また、徳蔵の弟で日本板硝子社長や貴族院議員を務めた島定治郎、子爵で軍医中将で貴族院議員も務めた実吉安純、日揮の創業者である実吉雅郎とは親戚にあたる野田聖子さん。
野田聖子さんの実父の島稔は、野田卯一と光の長男として誕生。しかし、卯一さんの父親の島家には後継ぎがいませんでした。その事情から、幼少期に徳蔵の養子となっています。
高校は田園調布雙葉高等学校に進学し、その後ミシガン州ジョーンズヴィル・ハイスクールを卒業しました。1983年には上智大学外国語学部比較文化学科を卒業。同年、帝国ホテルに入社し、フロント業務や国際セールス部員などを経験しました。
1987年、岐阜県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補。このとき史上最年少の26歳で当選します。
まとめ
野田聖子の息子の野田真輝くんの病気や、学校についてまとめました!誕生前から誕生後まで、多くの病気が発覚するも、2020年現在は普通の小学校に通学。会話も問題なく出来ていて、元気いっぱいの男の子に成長しています!
障害というと難しい問題が多いと思いますが、野田真輝くんは周りの影響もあり、多くのことを吸収していますね(^^)
お読みいただき、ありがとうございました。