昭和、平成、令和と時代を超えて大人気の歌手・美空ひばりさん。
今年はなんと紅白歌合戦で史上初のAIとして参加します。
そんな美空ひばりさんの生い立ちや経歴、更に若い頃の画像もご紹介します!
昭和を代表する歌手・美空ひばりの若い頃が美人!
美空ひばりさんは名前を聞いて知らない人がいないくらい有名な女性歌手です。
「川の流れのように」や「愛燦燦」など数々のヒット作を生み出し、テレビやラジオなどで流れる印象です。バラエティー番組では色んなモノマネ芸人さんが美空ひばりさんの声真似をするほどの人気っぷりです。
わたしもこの記事を書きながら、美空ひばりさんの歌うサビが流れてました。
歌唱力はもちろん、特徴的な節回しやメロディーが耳に残ります。
そんな美空さんの若い頃の写真がこちらです!
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/美空ひばり
出典:userdisk.webry.biglobe.ne.jp
目鼻立ちがくっきりとしていてとても綺麗ですよね~。笑顔がとっても素敵です!
歌手としてだけでなく女優としても活躍していた美空さんは美しく、とても魅力にあふれています!
美空ひばりの生い立ちや経歴・プロフィールは?
ここからは美空ひばりさんについてさらに詳しく紹介していきます!
芸名:美空ひばり
本名:加藤 和枝(かとう かずえ)
生年月日:1937年5月29日
死没:1989年6月24日(52歳没)
出身地:神奈川県横浜市磯子区滝頭
身長:147cm
職業:歌手、女優
公式サイト:http://www.misorahibari.com/
美空ひばりさんは昭和24年、「河童ブギウギ」でレコードデビューしました。わすか12歳でデビューして「天才少女歌手」と高い評価を受けました。
上の動画は美空ひばりさんが主演を務めた映画「悲しき口笛」とその主題歌です。
美空さんは劇中で燕尾服とシルクハットの出で立ちで歌っています。
当時映画は大ヒットし、主題歌のレコードは45万枚売れて美空さんは一躍有名になりました。
その後も歌だけでなく映画や舞台で活躍し、美空さんは「歌謡界の女王」と自他ともに認められるようになりました。
そんな美空さんが紅白に初出場したのは1954年(第5回)で、1963年から1972年まで10年連続で紅組トリを務めました。1970年(第21回)には紅組司会と大トリを兼任しています。紅白出場回数は17回だそうです。
そして今年の第70回紅白歌合戦では『VOCALOID:AI』によって新たに制作された新曲「あれから」 を披露します。
美空さんが生涯最後に発表したのは「川の流れのように」(1988年)でした。
1989年、昭和から平成に時代が移り変わるを見届けたように、その生涯に幕を閉じました。
また、女性として史上初の国民栄誉賞を受賞しています。
人気歌手を襲った悲劇
美空さんはデビュー当時から人気者でしたが、その人気ゆえに引き起こされた悲劇もありました…。
1957年1月13日、浅草国際劇場にて、ショーを観に来ていた少女から塩酸を顔にかけられ浅草寺病院に緊急搬送されて入院した。現場に居合わせたブロマイド業者らによって塩酸をかけた少女は取り押さえられ警察に突き出された。犯人の少女はひばりの熱烈なファンだったという。その後、歌舞伎座公演に復帰(奇跡的に顔に傷は残らなかった)。
有名な歌手が熱狂的なファンに襲われることは昔からありました。美空さんも人気だったがために被害者になってしまったんです。
美空ひばりの旦那(夫)や弟についても
さて、ここまで美空さんについて紹介しましたが、この記事では美空さんの家族についても紹介します!
美空ひばりはバツ1だった!?二年間の事実婚
実は美空ひばりさんは1962年に結婚して、わずか二年で離婚しています。
元旦那さんの名前は小林旭さん。俳優であり、歌手として紅白出場も果たしました。
2007年に日本プロゴルフ協会からPGA名誉会員に認定され、プロとして試合出場もしました。
その後、暴力団のゴルフコンペに参加したことがスキャンダルになり、PGA名誉会員の資格を辞退しました。
現在はFOSゴルフ指導者マスターライセンスを取得しており、国際スポーツ振興協会の専属プロ、日本ゴルフ指導者協会副総裁の肩書を持っています。
美空さんと小林さんは雑誌での対談をきっかけに交際し、山口組の三代目・田岡一雄の後押しがあって、二人は夫婦になりました。
しかし、美空さんの母の反対によって入籍はしていなかったので、戸籍上では美空さんは生涯独身でした。
離婚した理由を美空さんは「芸を捨て、母を捨てることはできなかった」と語っています。
また離婚後の会見で小林さんが述べた「理解離婚」が当時の流行語になりました。
美空ひばりの二人の弟
美空さんには二人の弟がいて、二人とも芸能界デビューしています。
一人目はかとう哲也さんです。
本名は加藤益夫で、小野透の芸名で1957年に歌手デビューし、翌年には映画に出演して俳優としても活動していました。
数年後、芸能界を引退し、賭博や拳銃所持、傷害などで逮捕されています。
1969年にかとう哲也として芸能界に復帰し、結婚もして子供も生まれました。
しかし1972年に暴行で逮捕され、更に三代目山口組系益田組の舎弟頭であることが発覚しました。
そのため日本縦断興行だった「美空ひばり」ショーが警察の要請で各地で締め出される事態にも発展しました。
1981年にひばりプロダクションの社長になりますが、二年後に心不全で42歳の若さで亡くなりました。
ちなみにかとうさんの実子の加藤和也さんは美空さんの養子になり、息子として美空さんを支え続けました。
二人目は香山武彦さんです。
本名は加藤武彦で、デビュー当時の芸名は花房錦一でした。1958年にデビューしましたが、1982年に引退した後は飲食店を経営していました。
1986年 に兄・かとう哲也さんと同じく、心不全によって42歳で亡くなりました。
二人は美空さんにとっては手のかかる弟たちだったようですが、大事な家族として、絆はとても強かったようです。
余談ですが実妹の佐藤勢津子さんも、美空さんの死後、演歌歌手としてデビューしています。
まとめ
今回は美空ひばりさんについて紹介しました。
若い頃から高い歌唱力と美貌で一世を風靡し、今もなおファンに愛され続ける国民的人気歌手、美空ひばりさん。
歌謡界の女王として君臨し、伝説を残した歌姫が時代を超えて歌い続ける姿を、みなさんぜひ紅白で観てくださいね!