今回は、SnowManのガチ喧嘩エピソードについて調べてみました。
Jr.時代から活動しているため、意見を戦わせた喧嘩から、本当に些細なことで喧嘩になるなどエピソードがたくさんあります。
SnowManが10代のころは、思春期ということもあり、メンバー同士でのガチ喧嘩も過激だったようです。
仲直りした経緯を含め、どんな喧嘩があったのか紹介していきます。
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SnowManガチ喧嘩エピソード5選
SnowManは、9人組の大所帯のため、大小問わず喧嘩になることも多いようです。
どんなことで、喧嘩になったのでしょうか。
それでは、SnowManのガチ喧嘩エピソードを5つ紹介していきましょう。
渡辺翔太&宮舘涼太
【画像出典】twitter
2016年の『サマステライブ』で、渡辺翔太さんが宮舘涼太さんに椅子を投げつけたことがあります。
渡辺翔太さんは、全体の流れを確認中に喧嘩の原因は覚えていませんが、何かの拍子で怒りが爆発して宮舘涼太さんと喧嘩になりました。
その後、怒りが収まらず椅子を蹴飛ばして、リハーサルを放棄して出ていったそうです。
渡辺翔太さんは、大人になってから久しぶりに感情的になったと語っています。
しかし、渡辺翔太さんと宮舘涼太さんは幼稚園からの幼なじみで、当時のクラス名をとって「ゆり組」と呼ばれるほど仲良しです。
幼稚園だけでなく生まれた病院、習い事、高校、大学まで一緒に過ごしてきた同志ともいえます。
リハーサルがうまく進んでなくて、キレた可能性もありますよね。
それでも、椅子を投げたり蹴飛ばしたりは、やりすぎです。
よっぽどの頭にきていたのでしょうね。
渡辺翔太さんと宮舘涼太さんは、当時を振り返り「お互い若かったな」と思い出話になっています。
椅子を投げるほどの大喧嘩をしましたが、渡辺翔太さんと宮舘涼太さんの関係に亀裂が入ることはなく、さらに絆は深まったそうです。
ピアスやピンキーリングをお揃いのモノを身に着けるなど、カップル化してると言ってもいいくらいかもしれません。
ラウール&向井康二
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デビュー前に『少年たち』という舞台に出演した際に、ラウールさんと向井康二さんは、仕事や方向性について話していて、喧嘩になりました。
お互いに主張を譲らず、舞台期間中の1週間ほど口を利きませんでした。
お互いに、そのうち謝って来るだろうと思っていたそうですが、冷戦状態が続いていたそうです。
舞台の本番中に喧嘩し始めることもあり、雰囲気が悪くなるため何とかしなければなりませんでした。
謝るタイミングを見失ってしまうと、素直になれないですよね。
見かねた目黒連さんが、ラウールさんと向井康二さんに、話をするよう説得したそうです。
10分後に様子を見に行くと、「2人とも泣いて抱き合っていた」と語っています。
ラウールさんは、SnowManのメンバーに対して、甘え方を上手く使い分けているところがあるそうです。
目黒連さんには、全力で甘えますが、向井康二さんに対しては目線が一緒なのではと言われています。
ラウールさんは、物言いがハッキリしているので、後に引けなくなってしまったのかもしれません。
過去に、向井康二さんのことを「あんまり仲は良くない」と発言したことがあるため、ファンの間では、心配の声もあります。
しかし、お互いが遠慮なくぶつかっていけるぐらいの信頼関係が成立している証拠ともいえるのではないでしょうか。
岩本照&深澤辰哉
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岩本照さんが、深澤辰哉さんの誘いを拒否したことから、喧嘩になったことがあります。
岩本照さんと深澤辰哉さんは、高校の先輩後輩の関係になります。
先輩である深澤辰哉さんが、後輩の岩本照さんを文化祭の打ち上げをしていたカラオケ店に呼び出しますが、岩本照さんが「行きたくない」と言い出したのです。
「来い」「行かない」の攻防がしばらく続き、喧嘩になったそうです。
岩本照さんが、打ち上げに行きたがらなかったのは、先輩たちにいじられたくなかったからと言っていたようです。
結局、岩本照さんと深澤辰哉さんは、公園でお互い謝り合い、岩本照さんは少しだけ顔を出して帰るときに深澤辰哉さんも一緒に帰りました。
どうしても呼び出したい深澤辰哉さんと、先輩の中に混ざりたくない岩本照さんの気持ちのズレで喧嘩になってしまったようですね。
深澤辰哉さんと岩本照さんは、高校時代から仕事だけでなく、部活も器械体操部で一緒でした。
高校時代に深澤辰哉さんは、いつも岩本照さんを気にかけて、教室にもよくのぞきに来ていたそうです。
家族ぐるみでも仲が良いらしく、年齢は違っても幼なじみに近い関係性なのでしょうね。
阿部亮平&宮舘涼太
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宮舘涼太さんは、学業を優先していた阿部亮平さんの方向性が許せず、お互いに気まずい時期がありました。
ファンの間では「氷河期」と呼ばれています。
阿部亮平さんは、ジャニーズや今後の活動を踏まえて、大学進学を選択しました。
宮舘涼太さんは、阿部亮平さんの大学進学には、最後まで反対だったといいます。
宮舘涼太さんは1つ年上なので、阿部亮平さんよりも先に学業と並行して活動していました。
グループの活動より、芸能活動を休んでまで学業を優先した阿部亮平さんに不満を抱いていたようです。
自分が並行して活動しているのだから、活動休止する必要はないと思っていたのかもしれません。
派手に喧嘩したとかではなく氷河期状態が続いていて、SnowManの他のメンバーも宮舘涼太さんと阿部亮平さんが、同じ楽屋にするのも気を遣っていました。
大学受験が終わって阿部亮平さんが芸能活動を再開してからも、しばらくは気まずい状態だったそうです。
阿部亮平さんは大学に在学中、SnowManの活動も学業も手を抜くことはありませんでした。
その姿をみて、宮舘涼太さんは阿部亮平さんの考えを理解し始めます。
大学院を卒業したときに宮舘涼太さんから1番に「おめでとう」とメッセージをもらい、阿部亮平さんは「うれしかった」と明かしました。
宮舘涼太さんと阿部亮平さんが和解したキッカケは、滝沢秀明さんのオリジナルサイト『滝ちゃんねる』でお互いの思いをぶつけたのです。
お互いの思いをぶつけ合ってからは、距離が縮まりました。
目黒連&ラウール
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ラウールさんが、バク転の練習を補助無しで練習していて、見ていて危なっかしい様子だったことから、目黒連さんが注意しましたが、言うことを聞かないので激怒しました。
SnowManは、前身のメンバーが全員バク転ができるため、後から加入した目黒連さんたちも出来るように練習していたそうです。
ラウールさんは、前回出来ていたという自信から、補助無しで練習し続けていました。
目黒連さんは、ラウールさんにケガをしてほしくないという、思いから感情的に怒ってしまったようです。
結局、目黒連さんが補助に回って練習しました。
目黒連さんは、Jr.時代にバク転に失敗して、負傷したことがあるためトラウマになっていたそうです。
失敗したときの怖さを知っているからこそ、忠告したのだと思います。
忠告を聞かずに、過信して練習していたラウールさんに、腹が立ったのかもしれませんね。
ダンスが上手いラウールさんは、運動神経が良さそうに見えますが、バク転は出来なかったそうです。
ダンス以外の運動神経は、ポンコツといわれているのは意外ですね。
まとめ
今回は、SnowManのガチ喧嘩エピソードを5つ紹介してきました。
いかがだったでしょうか。
SnowManは、仕事のことやグループの方向性については、よく話し合うといわれています。
メンバーが9人もいれば、価値観も9通りあるわけですから、まとめる難しさを感じました。
本気でぶつけ合える相手だからこそ、長く関係が続いている秘訣なのかもしれません。
喧嘩しながらもお互い切磋琢磨して、これからも活躍し続けてほしいですね。