今回は、壮絶な過去を乗り越えた、K-POPアイドル7人について調べてみました。
華やかに見えるK-POPアイドル達ですが、幼少期に家庭環境で苦労して、成功を夢見るアイドルが’多くいます。
不遇な環境にもめげずに成功したK-POPアイドルには、どんな人がいるのでしょうか。
7人の壮絶な過去の経緯を紹介します。
壮絶な過去を乗り越えたK-POPアイドル7選
それでは、壮絶な過去を乗り越えたK-POPアイドル7人を紹介していきましょう。
BTS SUGA
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SUGAは、高校2年生の時に音楽をするためソウルに上京した際、BTSの所属事務所のレッスンに加え、朝方までアルバイトをする生活を送っていました。
アイドルになることについて、両親や周囲の反応は冷ややかだったそうです。
繁華街のスタジオに通うためには、バスに乗らなければなりませんでしたが、食費と交通費を両方賄う余裕がSUGAにはありませんでした。
食費代を取っておくために、2時間歩いてスタジオに通っていたそうです。
しかし、配達のアルバイト中に交通事故に遭い、肩を脱臼していましたが事務所をクビになることを恐れ、周囲には言えませんでした。
次第に耐えきれなくなったSUGAが、事務所の代表に「辞めたい」と伝えると、事務所は「大学の学費は負担するから、辞めないでほしい」と言われました。
2020年にも肩の手術をしており、対人恐怖症やうつ病を患っていたことも告白しています。
JYJ ジェジュン
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ジェジュンは幼い頃に養子に出され、苦労した過去があります。
実母は、若い年齢でジェジュンを出産しますが、夫の暴力で離婚しています。
30世帯が水道やトイレを共同で使うような場所に住んでいて、経済的に困窮していました。
充分な食事を与えてあげられないことに悩んだ母親は、知り合いの家に養子に出したのです。
養子先には8人の血の繋がらない姉がいました。
ジェジュンの母親は、2ヶ月後に会いに行きますが「慣れてきたから、もう来ないでほしい」と養父母から言われます。
養子先も裕福ではなかったことから、新聞配達や工事現場で朝から晩まで働いて家計を支えていたそうです。
ジェジュンの実親は、東方神起でデビューしたあとに「お金目当てで、自分たちの子」だと主張し、裁判を起こしています。
本当に、どこまで身勝手なんだってなりますね。
東方神起 ユノ
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東方神起のユノは、1998年に起こった韓国の経済危機のあおりを受けて、極貧生活を送った経験があります。
ユノの父親は、金融系の企業で支店長を務めていましたが、経済危機の影響で退職に追い込まれたのです。父親が失業したのを機に、一家の経済状況は一変します。
ユノは妹の修学旅行の費用を捻出するために、中学生でアルバイトをはじめました。
ユノの父親も新聞配達員をしながら家族を養っていたそうです。
幼い頃は検事になるのが夢だったそうですが、中学生になった頃にはアイドルに興味を持ち始めます。オーディションを受けるために、ソウルに行こうとして、両親に反対されたそうです。
ユノは、家出をしてSMエンターテインメントのオーディションを受け、ダンス部門で1位になり2000年に練習生になりました。家からレッスン場が遠かったため、駅で寝泊まりしたこともあったそうです。
親からの援助は一切無く、練習生をしながらアルバイトをしていました。経済危機が起こる前までは、割と裕福な家庭だったそうです。
ドラマ『二十五、二十一』を思い出しました。ドラマのなかで、イジン(ナム・ジュヒョク)がしたような体験を実体験したのですね。
SUPER JUNIOR イトゥク
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イトゥクは幼少期に両親のケンカが絶えず、母親とイトゥクは父親から暴力を振るわれていました。
学生時代は父親が怖くて、強いストレスを感じていたそうです。当時の韓国では、離婚はご法度とされていましたが、暴力に耐え兼ねて両親は離婚しました。
2014年に離れて暮らしていた父親が、祖父母を道連れに亡くなったのです。最初、SMエンターテインメントは事態の重さを踏まえ、交通事故で亡くなったと発表しました。
しかし、マスコミの消防と警察の取材の過程で、交通事故ではないことが発覚し、批判が殺到したのです。
2012年からイトゥクは、兵役についていましたが、父親と祖父母の葬儀に参列し、再び兵役に戻りました。
兵役前からワーカホリック気味でメンタル面での不調はありましたが、父親の件もあってうつ病が悪化していきます。
軍から早期除隊の承認も受けていましたが、SMエンターテインメントは満期除隊を勧めイトゥクは2014年7月に除隊しました。
今ではメンバーの支えもあり、だいぶ症状も回復しています。
RAIN(ピ)
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RAINは、母親が糖尿病を患っていたため、経済的に苦しい少年時代を送っています。母親の治療費用を捻出するため、父親は海外に出稼ぎに行き、RAINが母親の看病をしていました。
母親は痛みで寝られないぐらいだったが、治療費を払うことができませんでした。
RAINは母親には学校に行くとウソをつき、深夜に工事現場で働いていたそうです。2000年、RAINが18歳の時に母親が心不全で亡くなっています。
父親は餅屋を営みながら、RAINを育てました。
しかし、2020年にRAIN夫妻の自宅に押しかけ「20年前にRAINの両親が営んでいた餅製造用の米代金を返せ」と米屋の夫婦が2500万ウォン(約250万円)を請求しています。
RAINの所属事務所は、米屋の夫婦が公開した帳簿は借用書ではなく、今まで幾度も払ってきたとコメントしました。
米屋の夫妻は、1988年〜2004年までRAINの母親と取引したと主張しているが、母親は2000年に亡くなっているので、帳簿自体が疑わしいと反論しています。
本人は歌手として成功したのに、成功してからも悩まされるのは大変ですね。
IU
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IUは、両親が抱えていた多額の借金を肩代わりした過去があります。
IUは中学3年生でデビューしますが、母親が親戚の借金連帯保証人になってしまい金銭的に大変な状況になっていたそうです。
借金の取り立てに悩まされ両親の仲が険悪になり、1年半ぐらいはケンカが絶えずIUは傷つきました。
親戚は保証人を要求したあと逃げてしまったため、IUは両親の元を離れ祖母と弟と3人で暮らしたそうです。
一時期、狭いワンルームに3人で住んだり、家財道具が差し押さえられたこともあります。
2006年から1年で20回を超えるオーディションを受けますが、全て落選しました。
「お金を払えばトレーニングを受けさせてあげます」という言葉を信じ、お金を払ったが詐欺被害に遭ったこともあります。
2007年にLOENエンターテインメントに合格して、2010年にリリースした『Good Day』が大ヒットし、翌年の年収が100億ウォン(約10億円)を突破しました。
デビューから3年で両親の借金を完済したのです。
挫折や苦い経験をたくさんしながらも、夢を諦めない不屈の精神はスゴイですね。
IZ*ONE チェ・イェナ
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IZ*ONEのチェ・イェナは、2018年にMnetで放送された『IZ*ONE CHU』で幼い頃にリンパ腫という小児ガンを患っていたことを告白しました。
病状がかなり深刻で、医者もお手上げ状態でした。ガンの治療費に莫大なお金がかかるため、経済状況は厳しかったそうです。
両親は医療費を工面するために、毎朝早起きしてキンパ(海苔巻き)を売り歩いていました。
チェ・イェナは、両親が苦労したことを覚えており『IZ*ONE CHU』の番組内で、キンパを作り、家族に振る舞いました。
両親は「イェナが健康で明るく育ってくれたことが、大きな贈り物」と語っています。病気が治って本当によかったと思います。
経済的に両親を安心させるために頑張っていると語っており、親孝行娘ですね。
まとめ
壮絶な過去を乗り越えたK-POPアイドル7人を紹介してきました。
いかがだったでしょうか。
7人のK-POPアイドルに共通しているのは、不遇な環境から抜けだして「絶対、成功してやる」という強い想いだと感じました。
これからも7人のK-POPアイドルのさらなる活躍を期待したいですね。