ジャニーズといえば、イケメンでキラキラ輝くスターというイメージですよね。
舞台上での彼らの姿からは、家族や生い立ちのことまでは想像がつきませんが、実は壮絶な過去を持っているメンバーも多くいます。
今回は、そんな彼らの生い立ちも交えつつ、家族想いなエピソードについてご紹介させていただきます。
家族想いなジャニーズエピソード7選
✿॰ॱHappy Birthday✿॰ॱ 🖤侯くん🖤
39ちゃいのお誕生日おめでとう🥳🎂🎉
家族思い・メンバー思いの侯くんが大好きです🖤生まれて来てくれてありがとう!
関ジャニ∞にいてくれてありがとう!
大好きです!!#横山裕誕生祭 #横山裕 pic.twitter.com/Ji4D3opMge— ⚽❤️ゆか🎺🖤 (@ajackthebox) May 8, 2020
ジャニーズメンバーのことが好きでも、彼らの家族のことや生い立ちまでは知らないという方もいるのではないでしょうか。
舞台の上でキラキラと輝く彼らは過去の苦労など微塵も感じさせませんが、実はかなり過去に苦労をしてきたジャニーズメンバーも存在します。
今回は、そんな彼らの生い立ちとともにジャニーズメンバーの家族想いなエピソードについて7つご紹介させていただきます。
横山裕(関ジャニ∞)
もはや絵画です🥺
うっとり…😮💨💕#舞いあがれ#横山裕 pic.twitter.com/gDObApRgsb— のこのこ ⍤⃝ (@harapecorincooo) March 13, 2023
横山裕さんは、裕福な家庭で育ちましたが、横山さんが3歳の時にお父さんとお母さんは離婚しています。
その出来事がきっかけで、横山さんの幸せな人生に変化が訪れました。
離婚後お母さんが再婚しましたが、横山さんは義理の父とそりが合わず、おじいちゃんの元に引き取られます。
ですが、横山さんが中学2年生の時におじいちゃんが亡くなってしまったため、お母さんの元に連れ戻されてしまいます。
その後義理の父からは、辛辣な扱いを受け、時には暴力を振るわれることもあり、義理の父から高校への進学も認めてもらえず、建設会社に働きに出ることになります。
ジャニーズ事務所に入所したのもちょうどその頃だそうです。
横山裕さんは、建設会社で働いて家計を助けながら、ジャニーズjr.としても活動していました。
ですが、そんな彼の心のよりどころとなっていたお母さんは、横山さんが29歳の時に彼のライブの直前に亡くなってしまいます。
なんとかライブを最後までやりきった横山さん。
ライブでは母親を思った「オニギシ」という曲を歌うこともあり、横山さんの家族想いの性格がそのことからも伺えます。
中居正広(元SMAP)
中居くんこっち見て笑ってるーー!!
中居ヅラに話しかけてくれてるみたい
((((o゚▽゚)o))) ドキドキ♪#中居正広 pic.twitter.com/uw9cErVrjX— sma.aki💙のんびりなかい (@sma_aki_hiro818) March 12, 2023
中居正広さんは、子供時代2人のお兄さんとともに極貧生活を送っていました。
当時は、お風呂は週二回しか入ってはいけなかったそうです。
理由は、夏場は子供のためにはプールがあるから。
そして、食べ物も満足に食べることができなかったため、兄弟とともに「バターご飯、わさびご飯、水かけご飯」などの独自のご飯の食べ方を考え出したそうです。
今では、バラエティー番組などの司会を務め、一説には年収5億円預金残高100億円越えとも言われる中居さんが、幼少期にこれほど生活が苦しかったとは驚きですよね。
中居さんの両親は、生活が苦しかったことも原因の一つとなり離婚しています。
しかし、中居さんとお母さんの交流はその後も続いているそうで、14万円のバッグをプレゼントしてあげたりしているなど、関係は良好なようです。
三宅健(元V6)
三宅くんの美の秘訣
ついに手に入れました!!
田舎にも置いてあって感動した✨ pic.twitter.com/pdLN6WV3wh— まるこ (@time_flamingo16) March 4, 2023
三宅健さんは、小さい頃にお父さんを鉄道事故で亡くしています。
その後は、母親一人に育てられたそうで、金銭面の苦労が絶えなかったそうです。
三宅さんが、小学生になったばかりの頃にお父さんが亡くなっているので、
「自殺ではないか」という声もありますが、あくまで事故であったとされているそうです。
このことがきっかけで、三宅さんはお母さんの実家のある香川県高松市で母子家庭として育ち、この頃から新聞配達で家計を支えていました。
三宅さんの無邪気な笑顔からは、想像もつかない壮絶な過去ですね・・・。
そんな三宅さんが、ジャニーズ事務所に入ったのは中学2年の頃。
叔母さんの勧めでしたが、母親を助けるためにジャニーズ事務所に入所した三宅さん。
そうしていつの間にか、高松の学校には顔を出さなくなり転校したそうですが、その後もジャニーズのレッスンと両立させながら新聞配達も続けていたそうです。
しかし、三宅さんのお母さんは、すい臓がんを患ってしまい、2010年の三宅さんが30歳の時に亡くなってしまいます。
葬儀は、関係者のみで行われ、途中まで我慢をしていた三宅さんでしたが、親族だけとなった火葬場では号泣したと言われています。
松岡昌宏(TOKIO)
松岡昌宏 カッコイイと思ったらRT pic.twitter.com/AF6a8nJmwX
— Johnny’s PARADISE (@paradise_of_J) March 7, 2023
松岡昌宏さんの両親は、彼が小学生の時に離婚しています。
離婚のきっかけは、松岡さんのお父さんが寝言で、お母さんとは別の女性の名前を言ってしまったことだそうです。
このことをお母さんに詰め寄られて、浮気が発覚してしまいます。
その後松岡さんは、離婚したお母さんと2人で暮らし、生活は大変だったそうです。
松岡さんは、小学生の頃から料理をしていたそうで、お母さんと自分のお弁当を毎朝作っていました。
子供ながらに、女手一つで育ててくれているお母さんの力になろうとしていたのでしょうね。
この経験のおかげで、料理の腕が上達したそうです。
松岡さんとお母さんは、北海道札幌市に住んでいましたが、松岡さんがジャニーズ事務所に合格したことがきっかけで、神奈川県横浜市に移り住みました。
母親を助けようと奮闘した青年期を過ごした松岡さんは、家族想いなジャニーズメンバーであるといえるでしょう。
小山慶一郎(NEWS)
小山くんシゲくんのAlpha表紙をやっと見たんですけど、たぶんNEWS STORY RADIO撮ったところだ…クリスマスしてたところだ…って思い出してメソメソした😭 pic.twitter.com/OyFJqbIXIx
— 湊 (@minato_kamome) July 27, 2021
小山慶一郎さんが小学五年生の時に、両親が離婚しています。
両親の離婚の原因は、お父さんからお母さんへの家庭内暴力だそうです。
小山さんは、当時まだ11歳でしたが、お母さんを守るためにお父さんに、
「オカンは俺が守るから、お前出て行け」と言ったそうです。
すごい勇気と優しさですよね!
そんな壮絶な幼少期を過ごした小山さんですが、大人になってからお父さんときちんと話し合って過去のことを精算できたそうです。
小山さんのお母さんは、神奈川県でラーメン屋さんを営んでおり、通称「やっちゃん」の愛称で親しまれています。
そのラーメン店は、ファンの間では有名な「ラーメン龍太郎」というお店で、小田急小田原線の「相武台駅」にあります。
店内には小山さんの色紙やグッズがあり、ファンの間では聖地になっているそうです。
そんな人気店「ラーメン龍太郎」は小山さんのお母さんが1人で切り盛りしています。
女手一つで小山さんとお姉さんを育て、このお店も営業してきたお母さん。
お店の営業時間が、夜7時から深夜3時までだったため、小山さんは幼少期お母さんとすれ違いの生活を送っていました。
しかし小山さんは、「寂しいとか不幸だとか思ったことはない。それ以上に幸せだった。」とお母さんへの感謝の言葉を述べており、お母さんの姿を「誇らしい」と思っていたそうです。
手越祐也(元NEWS)
強くなんてないのに、誰よりも弱いはずなのに「批判がある人は手越まで」って言って守ろうとしてくれてた手越くんを思い出してわんわん泣いてる
いつだって手越くんはNEWSの光だったね pic.twitter.com/qhlPJ8RmoG— み ら い 🕊 (@tgms__luv) March 25, 2021
手越祐也さんは、ご家族と仲がとても良いことで有名です。
2017年09月12日のラジオ番組「KちゃんNEWS」では、パーソナリティのNEWS小山慶一郎さんと、ゲスト出演の加藤シゲアキさんが手越祐也さんのお母さん想いのエピソードを明かしました。
手越さんは、
「今日母ちゃん来てるから帰るわ」と言って帰ったり、
ロケで、
「お母さん来てるからぶどう持って帰ろう」・「シャインマスカット持って帰ろう」
と言っていたりしたそうです。
母親想いの素敵なエピソードですよね!
また、自分が有名になってたくさんお金を稼いだら親に家をプレゼントするという夢も実現しています。
22歳でまだ大学生だった手越さんですが、なんとお母さんにプレゼントしたのは1億円の豪邸!
サーフィン好きなお母さんのために、海から近い場所に豪邸を建てたそうです。
亀梨和也(KAT-TUN)
けどアタシ的には亀梨くんの優しぃエールのまんま、ちゃんと気持ちに余裕作っていろんな刺激楽しめるよぅにしよぅ
たくさんのステキ亀梨くん投下してくれて嬉しかた。チャージ満タン。#亀梨和也 pic.twitter.com/9TADcfVnhx
— ボクなりのかめ🤍…prayforpeace (@Caf45x) March 14, 2023
普段から「家族が大好き」と公言している亀梨和也さん。
「愛情をかけて育ててくれた両親を尊敬している」と公言するなど、”家族想い”なことで知られています。
亀梨さんは、ジャニーズに入所した12歳のころから、
「年齢以上にしっかりしている」と評されており、KAT-TUNの中では最年少でしたがリーダー的な存在でした。
このように、グループのリーダー的な存在として活躍してきた亀梨さんのルーツは、家族にあるのでしょう。
亀梨さんは小学生の時の母の日に、3,000円くらいの真珠のネックレスをお母さんにあげたそうです。
ニセモノの真珠なのに、それをずっと着けてくれていたというお母さんに、その後亀梨さんが20歳の時に、本物の真珠のネックレスをプレゼントしたそうです。
なんともほっこりするエピソードですよね!
まとめ
いかがでしたでしょうか。
見た目がかっこいいだけでなく内面もかっこいいジャニーズメンバーの家族想いなエピソードにほっこりしてしまいましたね。
これからもそんな彼らを応援していきましょう!