1998年の小渕内閣時に、当時37歳10ヶ月の若さで史上最年少の郵政大臣に抜擢され、女性総理に最も近いと注目を浴びた野田聖子さん。
少子化対策に熱心で、「妊娠中絶問題からどうにかしないと」という発言をしており、ネット上で様々な意見が飛び交っています。
野田さんが少子化対策に力を入れるのは、自身の不妊治療や障害を抱えた息子のことが関係しているようです。
詳しく紹介しましょう。
卵子提供を受け高齢出産した野田聖子
野田さんが40歳の時、検査によって自然妊娠することができない体であると明らかになり、41歳から不妊治療を始めました。
服薬を1日3回行い、ホルモン分泌を促進させる注射を打ち、さらには議員活動のため東京と地元の岐阜を往復するという、多忙を極める生活を送りました。
不妊治療を14回繰り返し、さらには流産も経験し、野田さんは「もう死ぬしかない」と悩んでいた時期もあったそうです。
【女子の反応】卵子提供推奨の野田聖子、「出産は親のエゴ」の意見を一蹴「大事なのは多様な産み方を認めること」 https://t.co/JGvEqYj8k8 pic.twitter.com/zO6VJsab3F
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2010年、野田さんは卵子提供を受けるという決断をしました。
卵子提供による体外受精の費用は約50万円ほどかかり、その上45歳以上となると出産率はわずかに1%だそうです。それでも野田さんは「医師や周りが誰も無理って言わないから終わりが見えなくて、1%にかけちゃう」と、思いを語っていました。
「血のつながりは親子に関係ない」命がけで出産した野田聖子さんが語る、子どもの幸せ – ハフィントンポスト https://t.co/r4QSvcQPrX pic.twitter.com/e8nVRb831w
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野田さんは、州法で卵子提供が認められているアメリカ・ネバダ州に渡りました。事実婚の関係にあった男性の精子と、第三者のアメリカ人女性の卵子による体外受精により、野田さんはついに妊娠を果たしました。
2011年に出産し、50歳での高齢出産となりました。
産まれる前から臍帯ヘルニアと心臓疾患が判明
野田さんは妊娠中、羊水過多によりまたしても流産が差し迫った状態になりました。エコー検査を受けたお腹の子供は、臍帯ヘルニアと心臓疾患を発症している可能性を指摘されました。
第一子の真輝(まさき)君が誕生し、その後すぐに臍帯ヘルニアの手術が行われました。臍帯ヘルニアと併せて食道閉鎖症の症状も見られ、食道の緊急手術も行われることに。
野田聖子、入閣
野田聖子は、米国人卵子と夫の精子で体外受精させて50歳の高齢出産で第一子を産んだ。結果は障害児であったが、この子供の写真を公開している。
高齢出産推進派である事は、危険だ。即ち、日本人の資質低下を気にしない無頓着性が問題だ。
少子化対策のための第一子高齢出産?? pic.twitter.com/o9l3hOHvnR— 人籟地籟天籟 (@iPSmadeinjapan) August 1, 2017
さらには、出産後退院した野田さんの子宮内に血の塊が確認され、再入院することとなりました。子宮摘出手術を余儀なくされ、野田さんはもう子供を産むことができない体になりました。
野田さんは2~3年後に子供をもう1人と考えていたようですが、それも叶わなくなり泣き崩れたそうです。
出産後に食道閉鎖症で声を失い脳梗塞で半身麻痺に
産後すぐに手術を受け、なんとか困難を乗り越えた真輝君ですが、食道閉鎖症の影響でチューブからミルクを摂っていました。
その後真輝君は、突然3分間の呼吸停止という事態に陥りました。幸い命に別状はありませんでしたが、脳梗塞を起こし右半身が麻痺していました。
【エンタがビタミン♪】野田聖子議員 “売名行為”“人間のエゴ”との批判を否定せず「何を言われても、私と息子は幸せ」 – https://t.co/JqNQEULVfj pic.twitter.com/ddoIspINwT
— テックインサイト (@Techinsight_JP) March 7, 2017
真輝君は気管切開手術を受けることになり、1歳になる前に声を失いました。手術と引き換えに真輝君の声が失われるという決断をするため、野田さんは何日も悩み続けていたそうです。
真輝君は11ヶ月の間に7回も手術を繰り返し、呼吸器を付けているため口で食事をすることもできず、体にチューブを17本付けている時もありました。
野田聖子さんの息子さん「真輝くん」
夏の様子2016
随分、大きくなりましたね。5歳8カ月。
おトイレ1人で行けるようになったそうです!
良かったね(^▽^)
↓ブログhttps://t.co/OBk4Zrr09q#野田聖子 pic.twitter.com/S8IjH7sCF4— mizuho (@mizuhohiki4) September 26, 2016
現在の成長の様子は?
9歳になった真輝君(2020年9月現在)は、野田さんのブログでたびたび元気な姿を見せています。
引用:https://ameblo.jp/seiko-noda/
家族で東京ドームシティに出掛けたり、カラオケを楽しんだり、ゲームセンターで自慢のドライビングテクニックを披露しています。闘病生活を送っていた頃とは違い、他の子供と同じように日々を楽しんでいるようです。
気管切開手術で声を失った真輝君ですが、現在は会話のラリーが続くほどに向上しているようです。今まで単語で話していた言葉が文章になったり、語彙が多くなったりと成長を見せています。
右半身麻痺の障害は残っていますが、リハビリも兼ねて自転車に乗って野田さんと2人旅しているそうです。
引用:https://ameblo.jp/seiko-noda/entry-12445540665.html
真輝君は2017年に、東京都立青山特別支援学校に進学しています。
引用:http://www.aoyama-sh.metro.tokyo.jp/site/zen/entry_0000013.html
学校名:東京都立青山特別支援学校
所在地:東京都港区南青山2-33-77
設立:2014年
医療ケアが可能な看護師を雇い一緒に学校に通っていたそうで、1学期は欠席することなく登校できていたそうです。
その後2019年からは、特別支援学級のある小学校に通っています。
MLB NEWS@なんJ : イチロー、野田聖子の子供と写真を撮る https://t.co/BQc6BQadvS pic.twitter.com/tsxYOuUfTa
— MLB NEWS@2chなんJまとめ (@mlbnews2ch) January 8, 2018
野田真輝くんが遊びに来ました😊
また、大きくなった🤗#成長が早い #小さい頃から知ってます #野田聖子先生 pic.twitter.com/BjfPoVrbSW— 中野猛 (社長室) Takeshi Nakano (@takeshinakano) January 14, 2020
野田聖子のwikiプロフィール
名前:野田 聖子(のだ せいこ)
生年月日:1960月9月3日
年齢:[birth day=”19600903″]歳
出身地:福岡県北九州市
血液型:A型
学歴:上智大学外国語学部卒業
所属:自由民主党(無派閥)
前職:帝国ホテル従業員
Instagram:https://www.instagram.com/seiko.noda/?hl=ja
オフィシャルブログ:https://ameblo.jp/seiko-noda/
野田さんには、大蔵省の官僚や建設大臣を務めていた祖父がいました。野田さんの父が養子にいってしまい、後継ぎがいなかったことから野田さんは養女となりました。
帝国ホテルに勤めていた野田さんは、政治家になるつもりはなかったそうです。しかし祖父の支援者の希望もあり、引きずられるように政治家として活動を始めました。
部屋片付けてたら野田聖子のテレホンカード出てきた。若い。 pic.twitter.com/wvdRShBe6a
— トゥヤットゥヤ女体 (@yabaiuker) March 30, 2018
祖父は野田さんが政治家になることを喜んでいるのかと思いきや、逆に大反対していたそうです。当時、女性議員はただ人形のように座っていればいい、と言われることもあった時代でした。祖父は、自分の孫がそういったお飾りになることが嫌だったようです。
その後野田さんは、「自民党公認での岐阜県議会議員選挙の当選」「郵政大臣への抜擢」を、史上最年少で成し遂げました。
37才で当時最年少の郵政大臣就任、
女性初の議事進行係(議長ォ〜 本日は散会する事を望みまァ〜す というあれ)
順調にいけば、こんな人が初の女性首相だったなんて悪い冗談だね。
総裁選もコツコツ努力するそうです。#野田聖子 #スピンドル #SPINDLE #GACKTコイン #仮想通貨 pic.twitter.com/OgjfAvzbwV— pezvolante77 (@pezvolante77) August 7, 2018
まとめ
女性政治家として活躍しながら、体外受精・高齢出産・障害を持った息子の育児など、壮絶な経験を繰り返してきた野田さん。国会議員という立場から批判の声も多く上がりますが、愛する息子のために、野田さんは前向きに努力を続けてきました。
食道閉鎖症を経て声を失い、脳梗塞で半身麻痺となった真輝君ですが、現在では会話が続くほどに成長しました。半身麻痺の障害はまだ残っていますが、リハビリを続けながら特別支援学級のある通常の小学校に通っています。
今後も親子で困難に立ち向かって欲しいと願います。