BTSが出演し、それぞれの心の内を語ったインタビューが話題となった韓国の人気バラエティ番組「ユ・クイズ ON THE BLOCK」。今回はJ-HOPE&ジミン&ジョングクのインタビュー内容をお伝えしたいと思います!ぜひご覧ください♪
ユクイズ番組でメンバーへインタビュー
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韓国のコメディアン、ユ・ジェソクさんとチョ・セホさんが司会を務める「ユ・クイズ ON THE BLOCK」、通称ユクイズにBTSが出演したのは、2021年3月24日のことです。
メンバーたちが韓国のバラエティ番組に出演するのは約4年ぶりとあって、放送前から大きな話題になりました!実際にBTSが出演した放送回は、同番組の自己最高視聴率を更新したそうですよ。多くの人の関心を集めていたことが分かります。
[#오늘의방탄] #BTS X #유퀴즈온더블럭 모두 본방 사수 하셨나요?! 아미들도 다 함께 🤲🏻🤲🏻 유퀴즈~?! 🍗🍗🍗🍗🍗🍗🍗 #방탄소년단 #7방탄완전소중 #인터내셔널팝케이센세이션_중략_핫백1위그래미노미네이트퍼포머BTS pic.twitter.com/juCTqMCX51
— BTS_official (@bts_bighit) March 24, 2021
BTSと司会者による軽妙なやり取りは、約100分間にわたって放送されました。
「MIC DROP」のダンスを真似したことで有名なARMYキム・ジョンヒョンさんによるクイズと、BTSの楽曲を用いたカラオケクイズは、7人の魅力がたっぷり詰まっていて見どころ満載♪
そして数名ずつに分けて行われたインタビューは、彼らの練習生時代やデビュー当時のエピソードなど、とても興味深い話を聞くことができました。ネット上には「涙を拭きながら見た」「涙腺崩壊した」といった声が続出!多くのARMYの心を震わせたようです。
J-HOPE&ジミン&ジョングクが、どのようなことを語ったのか見てみましょう。
J-HOPE&ジミン&ジョングク
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3人は「ホビチャギ~」「ミニチャギ~」「クックチャギ~」と言いながら、賑やかに登場♪彼らの可愛さに、しょっぱなから頬が緩みます。「チャギ」とは、韓国語で「ハニー、ダーリン」のような恋人同士で使う呼び方のことです。
ユクイズでは司会者がゲストや視聴者のことを「チャギニム(チャギ様)」と呼んでいるので、それに合わせてお互いの名前に「チャギ」を付けて呼び合っていたようですね。同番組への出演を心から楽しんでいるのでしょう。
それでは、J-HOPE&ジミン&ジョングクのインタビュー内容を一つずつご紹介します!
宿舎生活について
방탄 한살 생일상 완성!#방탄생일상 pic.twitter.com/Yos58a3Siz
— 방탄소년단 (@BTS_twt) June 12, 2014
司会者に「宿舎生活はどうでしたか?」と質問されると、J-HOPEは「僕はただ、一つの部屋で寝るのが本当につらかったです。息苦しいんですよ。7人が一部屋で寝ていたんですけど、デビューをして、成功してよかったことの一つが部屋を分けてもらったこと」
「その部分がとても嬉しかったですね」と話し、宿舎の部屋に不満をもっていたことを明かしました。売れるまでの間、さほど広くない部屋で7人一緒に寝ていたのだから、宿舎が大きくなったことは本当に嬉しかったでしょうね。
「ジョングクさんはどんなことが一番つらかったですか?」と聞かれ、「僕は6月4日…2011年6月4日に入ったんですけど…」とジョングクが答えると、J-HOPEが「ジョングクは本当に幼かったね」と言い、当時を懐かしむ様子を見せました。
それもそのはず、当時のジョングクの年齢は、韓国の数え年で15歳です。年上のメンバーたちにはかなり気を遣っていたようで、こう語ります。
「僕が一番年下で、年の差もあったので、メンバーたちがみんな寝た後にシャワーを浴びていました」「僕は二段ベッドの上を使っていたんですけど、動くたびにギシギシ音が鳴るんです」
「だからヒョンたちを起こさないように、ナマケモノみたいに…」と話し、そーっと動くジェスチャーをしながら「こんな風にはしごを降りて、部屋のドアを開ける時もこうやって、静かにシャワーして…」と当時の苦労を明かしました。
今となっては笑い話ですが、その時のジョングクの行動を想像すると、少し可哀想に思いますね。
宿舎生活でつらかったことを聞かれたジミンは「僕はメンバーの中で一番遅くに入って、一年も経たずにデビューしたんです。すごく楽しみだったんですよ。その時、僕を迎えにきてくれたのがホビヒョンでした」と話します。
会社の新人発掘チームのリーダーから命じられて、新沙駅のバス停へ向かったJ-HOPE。ジミンへ初めてかけた言葉は「もしかしてジミンシィ?」だったそうで、ジミンはその話し方から、J-HOPEを会社の人だと勘違いしたそうです。
そして「僕はこの時初めて上京したんですけど、僕に対して『踊ることが好きそうだし、僕もダンスが好きだから、たくさん交流できたら嬉しい』って言ってくれたんです。でも、その後6か月間、僕と何の交流もありませんでした(笑)」と話し、みんなの笑いを誘います。
続けて「宿舎には台所まで靴がありました。靴箱に収めなければいけないのに、台所にまであったんです」と話しました。当時の宿舎には最大9名の練習生が生活していたそうなので、いかに宿舎が狭かったのかが伝わってきますね。
この時のジミンは、BTSのメンバーとして選ばれて宿舎に入ったわけではありませんでした。釜山から上京してきて、住む家がなくて宿舎に入ったのです。
「『いつかこの場所から出ていかなくてはならないのかもしれない』と思うことが、すごくしんどくて、つらかったです」と当時感じていた不安を明かしました。練習生たちにとって、会社に見限られることが一番の恐怖です。
ジミンは毎月のように、会社の人から「今回は本当に危なかったぞ」という話を聞かされていたそうですが、そのことについて「何かが不足していると伝えたかったんだと思います」と話します。
たとえマイナスなことを言われても、挫けず前向きな解釈をするところに、ジミンの負けん気の強さを感じますね。注意される他、新人発掘チームのヌナ(親しい年上の女性)には、たくさん助けてもらったそうです。
会社の人のサポートを受けつつ、足りない何かを補うために努力し続けてきたからこそ、ジミンはデビューを勝ち取ったのだと思いました。
喧嘩について
오늘 멋진무대, 복면쓰고 나온 깨알같은 주인공 들입니다 @-@ 크크크 오늘 멋있었나요?? pic.twitter.com/vDuGfjeqJZ
— 방탄소년단 (@BTS_twt) July 4, 2013
メンバー間での争いについて聞かれ、J-HOPEはデビュー当時にジョングクと喧嘩したエピソードを語ります。「ジョングクがファンからバナナをもらったんですよ」と話すと、ジョングクはすぐさま「違う違う!フルーツの詰め合わせ」と訂正。
J-HOPEはそのフルーツがとても魅力的に見えたようで、バナナを取って食べてしまったのだとか。ジョングクの話し方を真似しながら「誰が食べたんですか?僕のバナナどこにいったんですか?」と当時の様子を話します。
これを聞いたジョングクは「違う違う!僕がはっきり覚えています」と反論。「これはどういう状況だったのかというと、デビュー初期にファンの方からもらうプレゼントは本当に貴重で大切なものなんです」
「たくさんあったフルーツが、あっという間になくなりました。これはダメだと思って、『もう食べないでよ』『僕がもらったものなんだから…』って言ったら、メンバーたちが怒ったんです」
「その時ホビヒョンがバナナを食べていたんですけど、食べたバナナをこうやって出して…」と、口からバナナを出して投げるジェスチャーをします。当時の様子を思い出して面白くなったのか、ジョングクは手を叩いて大笑い!
するとJ-HOPEは「投げちゃったんです、ジョングクに向かって。今思うと本当に申し訳なくて…」と言い、大人気ない行動を後悔していました。今のJ-HOPEからは、まったく想像がつかない攻撃的なエピソードです…!
요즘 이런게 유행한다며?#JIMIN #v#Thanks Dallas pic.twitter.com/4J5Yj3Wo2w
— 방탄소년단 (@BTS_twt) July 19, 2015
ジミンはテテとのエピソードを語ります。「僕はテヒョンさんと同い年だから、些細なことで争っていました。その頃、ホビヒョンと僕とテヒョンの3人が同じ部屋で、二段ベッドが一つとシングルベッドが一つあったんです」
「ホビヒョンが年上だからシングルベッドを使って、二段ベッドを2人で使っていました。僕は下の段の方が楽だと思っていたので、譲ってあげたと思っていたんです」
「約半年後、僕も下の段を使いたくなって、その話をしたら『お前は好きで上を選んだんじゃないか』って言われて、めちゃくちゃ喧嘩しました」と話し、その場にいるみんなを笑わせました。ジミンは「ふざけてんのかお前!」とテテに怒りをぶつけたそうです。
「今思うと大したことじゃないのに…。方法はたくさんあったと思います。ベッドの位置を変えるとか…」と過去の喧嘩を振り返っていました。
些細なことなのかもしれませんが、よかれと思って下の段を譲った親切心が伝わっていなかったのだから、ジミンの怒る気持ちは理解できますよね。
諦めそうになったことについて
「つらかった練習生時代、途中で諦めそうになったことは?」という質問に対し、J-HOPEは「たくさんありました」と答えます。
「練習生になったら、他のやりたいことができなかったので。本当はゲームをしたかったし、どこかへ遊びに行きたかったし、家族とも一緒にいたかったけど、実際そういうことを諦めないといけなくて…」
「でも何よりも望んでいた夢だったから。それに、これ(歌手活動)をすごくやりたかったので、そういったことを我慢できたと思います」と語りました。夢を叶えるためとはいえ、同世代の人が気軽にできるようなことを我慢していたのだと思うと胸がギュッとなります。
ここで司会者から「でも、つらすぎて光州の実家に帰ろうとしたんですよね?」と問いかけが。J-HOPEは「あ~、そうですね。高速バス、あの時はSRT(韓国の高速鉄道)もなかったので、バスターミナルに行きました」と話します。
司会者が「この時ジョングクさんが泣きながらホソクさんを引き留めたんですよね?」と質問すると、ジョングクは「あー、そうです。あの時は本当に涙が…」と話し、行かないでほしいとJ-HOPEに泣きついたことを明かしました。
2人のやり取りを思い浮かべると泣けてきますね。
J-HOPEの思い
練習生時代について、J-HOPEはこのように語ります。「『いつデビューするの?』って、本当につらかったです。そう言われることが一番しんどかったです。光州に帰省するたび、お母さんが全面的にたくさん支えてくれました」
「お母さんがそんな風に僕を信じてサポートしてくれたから、僕は必ず孝行しなくてはいけないって。お母さんの幸せが僕の幸せであり、お母さんが笑っていることで僕も笑っていられます」と話し、お母さんへ愛のあるメッセージを送りました。
J-HOPEがいかに愛されて、大切にされているのかが分かります。
ジョングクの思い
「当時のジョングクさんに、今のジョングクさんが話をするとしたら?」という質問に、ジョングクは「僕は特に話したいことはありません。たくさん壁にぶつかって、怒られてきたからこそ、今の自分が作られたと思うので…」
「だから僕は、いつも気遣ってくれて、指摘してくれたり、怒ってくれたメンバーたちにとても感謝しています」と答えました。
15歳で上京したジョングクは、ソウルの建物の高さや道路の広さが怖かったそうです。練習生として数か月経った頃、「お母さんに会いたくてコンビニでカップラーメンを食べながら泣きました」と話します。
また、デビュー後の心境について、「デビューしてみたらメインボーカルになって…。他のグループのメインボーカルの人たちは、歌が本当にうまくて、ダンスも上手で、かっこよくてイケメンで…」
「僕は…なんだ…?僕がこのグループのメインボーカルでいいのか?」「うまくなって、もっと良い姿をお見せしないといけないから、行動してそれを変えられるのは自分だけだと思ったのです」
「だから、その時から『ボーカルレッスンの時間』という概念をなくしました。車の中で、トイレで、シャワーを浴びながら、1日24時間の中で僕が歌えるタイミングがあれば、無条件で歌を歌いました」と心の内を明かしました。
毎日の積み重ねが実を結び、ジョングクの素晴らしい歌唱力は完成したのですね。
ジミンの思い
前述のとおり、ジミンは練習生としての期間が一番短いメンバーです。当時抱えていた不安をこのように語ります。「何をすればいいのか分からないことが、すごくつらかったです」
「テヒョンやジョングクがボーカルレッスンを受ける時、『僕も入って見学してもいいですか?』って言って見学したり、その時聞いたことを思い出して、夜中に一人で練習しました」
この話を聞いたジョングクは「これは確信をもって言えることなのですが、ジミンヒョンは僕の基準の中で一番自分に厳しくて、とても一生懸命な人だと言えます。ジミンヒョンは、ほとんど寝ていなかったと思います」
「誰よりも早く起きて、誰よりも遅くに寝ていました」と明かしたのです。実際、当時のジミンは朝の4時まで練習して少し寝て、6時半頃に起きて学校へ通っていたそうですよ。ストイックなジミンらしいエピソードですね。
そのような生活で体調を崩さないか心配になりますが、ジミンは「当時はつらくなかったと思います」と述べました。
月に一度、お父さんに電話をかけて「ダメになるかもしれない。でも失望だけはしないで。ここで落ちたとしても、何がなんでもやり遂げてみせるから。あまりがっかりしないでほしい」と話していたことを明かします。
「練習室で寝たらいい」と考え、マットレスを敷いて寝ることもあったのだとか。「ずっと練習し続けて、辛抱して、グループに入りたいって思えたのはメンバーのおかげです。メンバーたちがたくさん支えてくれました」
「『やりすぎる必要はないし、みんな同じように未熟で、同じ人間だから一緒に乗り越えればいいんだよ』って、そばでたくさん言ってくれました」と、メンバーたちの存在の大きさを語りました。彼らの絆の強さに胸が熱くなります!
また、ジミンは友達についても悩んでいたそうです。「僕が以前、一度『疲れた』と言って、母と父の前で泣いたことがありました。その時は寂しいって感じていた時だったんです」
「『お母さん、僕友達がいないんだ』って話をして、『友達を作ろうとすると、絶えず何かを与えているような気がする』こんな話をしたことがあります。周りの人は『本当の僕』を見てくれていない感じがしたんです」
「『どうして僕のことを先に尋ねてくれる人がいないんだろう?』って。ただ、歌手や芸能人としてではなく、『お前はどう?僕たちはこんな疑問を抱えて生きているけど、お前はどう?』って、こういう会話のできる友達がほしかったんです」と明かしました。
そんなジミンにとって、一番記憶に残っている友達の言葉は「お前にはメンバーもいるし、僕もいるし、あいつだっている。それだけで、お前は良い人生を生きていけるんじゃないか?」だそうで、この言葉を今でも毎日思い出しているそうです。
メンバー以外の友達の存在も、ジミンの大きな支えとなっているのでしょう。
現在の悩みについて
司会者から最近の悩みについて聞かれ、J-HOPEは「永遠のものってないじゃないですか。永遠のものはないから、以前シュガヒョンが言っていた『墜落より、安全に着陸して最後を締めくくりたい』っていう話が心に響きました」と話します。
SUGAの名言「墜落は怖いけど着陸は怖くない」は、ARMYのみならずメンバーたちの心も鷲掴みにしているようです!
もちろんメンバーたちが活動している限り、応援し続けるARMYがほとんどだと思いますが、有名になった今だからこそ仕事へのプレッシャーなど、いろいろなことを思い悩むのでしょうね。
自叙伝の一行目について
最後の質問は「自分の人生を本にするなら、最初の文章は何と書きたいですか?」です。3人の答えをご紹介します。
J-HOPEは「僕を導いてくれた人たちへ」と答えました。周囲にいるたくさんの人たちが、自分をここまで導いてくれたと思っているからだそうです。周りの人への感謝を怠らないJ-HOPEの謙虚さを感じます。
ジミンの回答は「皆さんはどんな人生を生きたいですか?」でした。読者に対して、このような質問を投げかけてみたいのだとか。誰よりも努力し、アーティストとしての華々しい人生を掴んだジミンにこう聞かれると、なんだかやる気がみなぎってくるような気がします。
ジョングクの考えた文章は「お元気でいらっしゃいますか?」です。予想外の答えに笑いが起きますが、どんな時でも挨拶を欠かさないジョングクの礼儀正しさが垣間見える言葉だと思いませんか?とっても微笑ましいです!
まとめ
今回は、ユクイズで繰り広げられたJ-HOPE&ジミン&ジョングクによるインタビューをお伝えしました。宿舎でのエピソードや練習生時代の悩みなど、心の内を赤裸々に語った3人の映像は、すごく価値のあるものだと思います!
本当に大・大・大満足の内容でした!またいつの日か、BTSがユクイズに出演してくれたら嬉しいですね♪