今や世界中にARMYがいるK-POPグループのBTSですが、デビュー当時から人気があったわけではありません。
2013年、無名事務所だった「BigHitエンターテインメント」(現HYBE)からデビューした7人の少年たちを、6年後にビルボードで1位に輝かせたのが天才プロデューサー、パン・シヒョクさん(パン・PD)なのは有名ですね。
今回は、BTSを語る上で欠かせないメンバーの加入順とともに、デビューまでの下積み時代や成功の軌跡について紹介していきます。
パンPDがBigHitエンターテインメントを設立!
@yui_sope_bts
反応ありがとう
お迎えに来たよ:) pic.twitter.com/lFWqKQBR5L— 방시혁(パンPD Bot) (@BangHYBEBot) July 31, 2021
BigHitエンターテインメント(現HYBE)は、ガールズグループ「TWICE」などが所属するJYPエンターテインメントの売れっ子プロデューサーだったパン・シヒョク(通称:パンPD)さんがJYPエンターテイメントから独立し、
2005年にスタートした、小さな会社にすぎませんでした。
パンPDさんは幼いころから自他共に認める天才で、本を一度読めばスラスラと頭に入ってしまうような天才型だったため、韓国一の難関校「ソウル大学」に入学し、卒業後は作曲家として活動をします。
JYPで8年間プロデュースを学んだパンPDさんは独立し、「Big Hitエンターテインメント」(現HYBE)を設立しますが、
練習生に投資する十分な資金はなく、狭い練習室に集まり、約10人一部屋で寝泊まりするなど、BTSの練習生時代は決して恵まれた環境ではありませんでした。
30名程の練習生は、1人入ると1人去り、その都度メンバーが入れ替わるので、いつデビューするのか、いつ追い出されるのかも分からない状況だったと、BTSは当時を語っています。
BTSのメンバー加入順
1人目 RM
引用画像・写真 | 日本デビューしたBTS 2枚目 | ORICON NEWS
🐨何階ですか?
🐨上へ参ります
🐨いってらっしゃいませ
こんなエレベーターBOYが会社にいたらいいのになぁ🍀*゜사랑해요♡#ナムへ送る365日のラブレター#RM #BTS #ナムに届く pic.twitter.com/Rfq4Xj7Vyr
— えむ🐨 (@emimon_bts) February 5, 2019
全国模試で上位1%に入るほどの成績優秀な学生で、IQ検査で一番点数が高かったのは高校二年生の時の148です。母親からも将来は自宅から近い、有名大「延世大学」に行くことを期待されていたほどです。
中学頃からラップに目覚め、ホンデで公演をした際には両親に怒られましたが「僕が勉強にいくら優れていても、全国5000位ぐらい、でもラップでは1位になる。1等の息子がいいですか?5000位になった息子がいいですか?」と、
将来ラッパーとして成功する熱意と自信を語り、母親を説得します。
アンダーグラウンドで活躍していたRMを、アンタッチャブル(韓国HipHopデュオ)のスリーピーが見つけ、パン・PDさんとプロデューサーにRMを紹介しました。
すると、RMの実力を目の当たりにしたパンPDさんは「君は真のラップモンスターだ」と称賛し、「彼のような才能の持ち主は、デビューさせなくては」と思い立ち、BTSの輪郭ができたそうです。
RMの練習生期間は約2年9ヶ月です。
2人目 SUGA
これで思い出すけどチョロのteaser湧いたよねー
手だけしか写ってなくて誰の手だクイズみたいなので賑わってたり、
エレベーターにメンバーが乗る順番が入所した順番だとか、書いてある数字はなんだみたいな考察とかもあって色々と面白かったんよね。 https://t.co/UoIKhhzyj5 pic.twitter.com/5AKN3xXTcX— えむᕱᕱ💜고민보다💰✨ (@BTS_7Dream) May 14, 2021
引用元:https://ameblo.jp/akechan2416/entry-12122155674.html
2006年に、エピック・ハイ(韓国のHipHopユニット)のFlyを聴いてヒップホップに目覚めます。
小学校の頃から楽曲制作を始め、既に地元の大邱ではヒップホップクルー「D-town」というアンダーグラウンドグループで制作にも携わり、プロデューサーもこなしていました。
しかし、当時は音楽でお金を稼げないためグループ内の年の離れた先輩たちはアルバイトをしながら音楽活動をしていましたが、シュガはそのことが辛かったんだそうです。
そのためシュガは、自分が有名になってアンダーグラウンドのグループがもっと良い環境で音楽ができるようにしたいという夢を持ち、BigHitのオーディーションを受けるためにソウルへ上京しました。
課題として与えられたビートに唯一、参加者の中でアレンジしたものを披露し、見事合格しましたが、アイドルになるつもりはなく、BigHitで作曲やプロデュース業をするつもりでした。
しかし、パン・PDさんに「1TYM(ワンタイム:YGエンターテイメント所属のヒップホップグループ)のようなチームを作りたい、 踊りはほどほどでいい」 と言われ、オーディションのラップ部門で2位を獲得し、練習生になります。
練習生期間は2年7か月です。
3人目 J-HOPE
引用元:https://ameblo.jp/akechan2416/entry-12122155674.html
もともと、故郷の光州では、すでにダンスが上手な事で存在を知られていました。BTSスタート時期には、「あのチョン・ホソクがいるグループ」と言われるほど、地元・光州で有名なストリートダンサーでした。
J-HOPEの当時の芸名は「スマイルホヤ」。
光州のPLUG IN MUSIC ACADEMY(通称:スンリアカデミー)にも通っていました。
その通っていたダンススクールで、BigHitのオーディションが開催されます。オーディションの形式はスクール内にカメラを設置し、参加者の自由な姿を見るという趣旨でした。
休憩になり関係者が一旦外へ出て行きますが、J-HOPEは2~3時間一人でずっと踊り続けていたそうです。審査員たちはその努力する姿を見て、J-HOPEを練習生に選びます。
練習生期間は2年6か月です。
4人目 ジン
引用画像・写真 | 日本デビューしたBTS 3枚目 | ORICON NEWS
引用元:https://ameblo.jp/akechan2416/entry-12122155674.html
ジンは、アイドル練習生としては、かなり遅い年齢で練習生となっています。
ジンは中学生の頃、韓国の大手芸能事務所SMエンターテインメントのスカウトを受けていますが、騙されていると思い、当時は断ったそうです。
俳優を目指し建国大学の映画芸術学科へと進学しましたが、大学に通学する途中で今度はBigHitエンターテインメントから声をかけられます。俳優を目指していましたが、オーディションを受けてBigHit練習生となりました。
オーディションで歌を歌った時の、審査員の反応はイマイチだったという噂もあります。
それまでは、歌手にはあまり興味がないようでしたが、キャスティングされてからは他のメンバーのダンスや歌に負けないよう一生懸命努力します。練習生当時のボーカルトレーナーの先生いわく「一番記憶に残っている教え子」と言われているほどです。
練習生期間は約2年です。
5人目 ジョングク
引用元:https://ameblo.jp/akechan2416/entry-12122155674.html
BIGBANGのG-Dragonに憧れていたジョングクは、スーパースターKオーディションを受け、予選脱落だったにもかかわらず7社からのスカウトを受けます。(JYP、STARSHIP、CUBE、FNC、Woollim、TS、BigHit)
その後、BigHitの見学に行った際に、たまたま練習室でRMがラップをする姿を見てとても格好いいと思い、BigHitの入所を決めました。
ジョングクは「ダンスに感情が無い」と言われダンスの先生と共に、1ヶ月間のアメリカダンス研修などに参加しますが、この経験がむしろ刺激となり、一時期は歌手よりダンサーを本気で目指すようになったことがありました。
ジョングクがダンス1本へ進路変更することを、ジミンが必死に引き止めたとのエピソードもあります。
メインボーカルに抜擢されるものの自信が持てず、移動中やトイレの中でも、四六時中歌の練習をしていた努力家です。
練習生期間は約2年です。
6人目 テテ
引用画像・写真 | 日本デビューしたBTS 15枚目 | ORICON NEWS
引用元:https://ameblo.jp/akechan2416/entry-12122155674.html
デビュー前の夢はサックス奏者で、3年位習っていました。BTSになっていなければサックス奏者、または農家である実家を継ごうとも思っていたそうです。
たまたま地元の大邱でオーディションが開催されることになり、参加する友達に付き添って会場へ見学しにいきます。
しかし帰り道で、BigHit新人開発チームの審査員に、一度オーディションを受けてみたらと言われ、BigHitの非公開オーディションを受けました。するとその時のオーディションで、唯一の合格者となりました。
テテは防弾少年団の秘密兵器として、最後まで公開されなかったメンバーでもあります。
練習生期間は1年9か月です。
7人目 ジミン
引用画像・写真 | 日本デビューしたBTS 14枚目 | ORICON NEWS
引用元:https://ameblo.jp/akechan2416/entry-12122155674.html
舞踊界で既に才能が知られていたのがジミン。釜山の芸術高校に主席で入学したジミンは、在学中に先生からの推薦でBigHitの釜山公開オーディションを受けて、BigHitへ入りました。
BTSの中では練習期間が一番短く、デビューが決まったのが一番遅いメンバーのため、練習生になった頃には、すでにグループのメンバーや各ポジションなども決まりかけていたと言います。
そのためジミンは、選ばれるためにほとんど寝ずに練習し続けたのだとか。皆との差を埋めるため、寝る時間も練習室で送るほど、すべての時間を練習室で過ごしました。「努力家」であることを認められ、正式に「防弾少年団」のメンバーに決定します。
ジミンはパフォーマンスディレクターも認めるほどの「練習の虫」だそうです。
練習生期間は約1年です。
あくまでも仮設ですが「ティーザー」のエレベーターに乗る順番は「防弾少年団」に入った順番と言われています。
余談ですが、衣装はただのコスプレではありません。
みんな「死」に直面するお仕事になっており、RMは軍隊、シュガは消防士、J-HOPEはレーシングドライバー、ジンは医者、ジョングクは警察官、テテは探偵、ジミンは働き過ぎのサラリーマンだと言われています。
エレベーターのボタンにも細工がされており、上の文字はラテン語で「希望」の意味が書かれており、その下のボタンはARMYの『A』、BTSの『B』7人分と、開閉がBTSマークと、
細部にもこだわりがあります。
エレベーターといえば、のDOPE~
みんなかっこいい。今日はまた3人まとめて来るんだよね?ドキドキ!I’m voting for @BTS_twt for #BBMAsTopSocial
Butter Film out Life Goes On Dynamite Stay Gold Boy With Luv DNA BTS pic.twitter.com/oZTFFNtJCr
— N9⁷∞🍉ᴾᵀᴰ (@9_youngforever) May 13, 2021
Hip Hopグループからアイドルグループへ路線変更
ヒップホップアイドルグループとして2013年6月にデビューした防弾少年団ですが、デビュー当初からこれほど爆発的に人気があったわけではありません。
デビューの頃は、ヒップホップではない、アイドルでもないと批判されていましたが、2015年のミニアルバム『花様年華Pt.1』で、
ヒップホップ色の強いイメージから、大衆的なメロディーで青春の悩みや不安を描いた作品にシフトしたころから徐々に人気がでてきました。
韓国の音楽番組で初めて1位になったのはデビューから約2年後であり、大手芸能事務所の場合、デビュー曲で1位になることも多いので、BTSはブレイクするのに時間がかかったことが分かりますね。
ラッパーとして活躍するはずが、気づけばK-POPの中でもトップレベルでハードに踊るグループになり、BTSがヒップホップグループからアイドルグループへとコンセプトを変更します。
アイドル路線に変更したことで、RMやシュガも悩んだと言います。ダンス初心者だったシュガは、「ただリズムに乗っていればいい。ラップだけ一生懸命やれ。と言われたのに話が違う」と、冗談交じりに不満を漏らしていたこともあります。
しかし、そんな葛藤も乗り越えてBTSは、2016年の2ndアルバム『WINGS』発売後にビルボード200に2週連続チャートインするなど、さまざまな新記録を打ち出します。
まとめ
今や誰もが知るワールドスターBTSですが、「当初は世界的なアーティストにするという目標はなかった。でも、いいものを作る自信はあった」とパン・PDさんは語っています。
本格的に世界を視野に入れたのは、2016年の2ndアルバム『WINGS』からで、海外作家とのコライト作が急増し、スティーヴ・アオキがリミックスした「Mic Drop」で、BTS初の全米トップ40入りのヒットとなりました。
今や大スターのBTSメンバーも、それぞれの経緯で練習生となり、デビューをしています。 その期間は、当人たちにしかわからない苦労もあった事と思います。
辛い下積み時代を経験したことで、一層成功することへの気持ちも強くなり、ここまでの大スターになったのかも知れませんね。
そんな努力と苦労を重ねたBTSを、応援せずにはいられません!