1990年代から2010年代にかけて活躍した、卓球選手で「Tリーグアンバサダー」を務めている、”福原愛”さん。
「ITTF世界ランキング」の最高順位は、2015年の”4位”という成績を残しています。
そんな福原愛さんの過去が壮絶で、父親とは絶縁状態だったと言われています。
そこで今回は、福原愛さんの父親は、絶縁したまま他界していた事実についてや、壮絶な過去を徹底調査していきたいと思います。
福原愛の家族構成!父親はどんな人?
宮城県仙台市で生まれた、福原愛さん。
家族構成は父親の、”福原 武彦(ふくはら たけひこ)”さん、母親の”福原 千代(ふくはら ちよ)”さん、10歳年上の兄である”福原 秀行(ふくはら ひでゆき)”さんです。
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10歳年上の兄である、”秀行”さんは、メディアに出る事が無かったので、画像は見つかりませんでした。
お兄さんが中学生で卓球を始めた事がきっかけで、福原愛さんも3歳9か月からラケットを握ります。
母親の”千代”さんは、卓球経験者であり福原愛さんが、12歳頃まで指導していました。
娘に”卓球のイロハ”を教えた、先生という事ですね。
1日4~5時間という猛特訓を、自宅で毎日していたといいます。
また、千代さんの教育法で算数を教える時、「答え」を先に明かしていたんだとか。
実際に考えさせたのは「過程」であり、どう答えを導くのかを大切にしていたといいます。
長年、福原愛さんに課せられていた、”オリンピックでのメダル”という目標は、2012年の「ロンドン五輪」で、その「答え」にたどり着きました。
母娘で歩んできた、長い道のりの”20年”。感慨深いものがありますね。
福原愛さんが、お母様にメダルを首にかけてあげるシーンは、今でも忘れられません。
一方で、父親の武彦さんは、1990年から仙台で、不動産会社を経営していました。
娘の練習環境を整える為に、青森・仙台・大坂などに拠点を移し、専用の卓球場も所有していたといいます。
卓球王国である、中国出身のコーチを招くなど、自営業とはいえ資金の捻出は相当なものだったと考えられます。
実際、父・武彦さんの会社は、”3億5千万円”の負債を抱える事となってしまいました。
債権者から家族を守る為、武彦さんは、奥様の千代さんと離婚した上で、自己破産しています。
福原愛さんに、そういった事があったのには驚きましたね。
福原愛の両親は離婚していた
先ほども記載しましたが、父親の武彦さんが経営していた、不動産会社「福原産業」は、1998年2月、福原愛さんが10歳の時に、倒産しました。
これは、彼女が”ミキハウス”と専属契約し、「プロ宣言」した年と重なります。
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債権者から”1億5600万円”の返済を迫られ、借金に苦しむ状態になりましたが、福原愛さんが、それまで出演したテレビ出演やCMなどの収入は、全て借金返済に消えたといいます。
それでも借金を完済する事はなく福原愛さんが15歳の、2004年5月に両親が離婚します。
青森山田高校に進学し、アテネ五輪の出場を決めた時期でした。
可愛い笑顔の裏には、本当に壮絶な経験をしていたんですね…。
父親は福原愛と絶縁したまま他界
父親の武彦さんは、卓球経験者ではありませんが、幼い頃から福原愛さんのマネジメントを手掛けていました。
卓球素人の父の場当たり的な指導に、10代の福原愛さんは振り回されてきたといいます。
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福原愛さんが13歳の時に、異例の若さで日本代表入りを果たしましたが、父親・武彦さんの指導に問題があり、成績が伸び悩んでいました。
素人であっても良い結果に繋がる事もありますが、武彦さんの場合は違ったようですね。
そして、福原愛さんが19歳の2008年「北京五輪」でメダルを逃した頃から、父娘の関係が悪化したといいます。
その後、2009年「世界選手権」2回戦で敗退し、福原愛さんは試合後に兄・秀行さんと話し合って、「これ以上、父に振り回されたらダメだ」という言葉に覚悟を決め、絶縁状態となりました。
親子の縁よりも、アスリートとして”結果を出す(メダル獲得)”為に選んだ決断でした。
その後は、母と兄がマネジメントを担い、父・武彦さんは娘の大会会場に、一度も姿を見せなくまりました。
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父・武彦さんと絶縁後、福原愛さんの成績は良くなったといいます。
2009年7月「ITTFプロツアー」で、”シングル・ダブルスともに優勝”。
同年12月「東アジア競技大会」も”シングル・ダブルス優勝”という結果でした。
2012年「ロンドン五輪」女子団体で、初の銀メダルを獲得。
2016年「リオ五輪」でも、女子団体で銅メダルを獲得しました。
卓球は技術だけでなく、精神面で大きく左右されるスポーツと言われています。
メンタルが良くなった事で、本来の実力が出せたのかもしれませんね。
https://t.co/HAZudtBnWB リオ五輪卓球女子団体で銅メダルを獲得した福原愛、石川佳純、伊藤美誠の3選手。表彰式での笑顔を写真特集に追加しています。#リオ2016 https://t.co/2KEAKLNB07 pic.twitter.com/WmdXycI1Gz
— 毎日新聞写真部 (@mainichiphoto) August 17, 2016
父・武彦さんは晩年、秋田県湯沢市の温泉関連会社で、役員を務めていました。
しかし、2013年10月6日、福原愛さんが24歳の時に、肝臓がんの為、逝去されました。
秋田県内の病院で闘病の末、福原愛さんが看取る事なく、71歳で他界したという事です。
福原愛さんは、父の訃報にコメントを残しています。
父がいなければ、私は生まれてくる事もなかったですし、今の成長した私があるのも、多くの方々が応援して下さる環境がある事も、父の影響によるものが少なくありません。
そういった事については、父に感謝しております。
2008年頃から、父娘の関係が悪化し、以後は電話やメールのやり取りも、一度もなかったといいます。
病院での闘病中、きっと父・武彦さんは”娘に会いたい”と思ったのではないでしょうか…。
家族や親子の確執というものは、本人同士でないと分かりません。
しかし、最期くらいは…と思ってしまい、複雑な気持ちになりますね。
お父様は、天国で娘の幸せを祈っている事だと思います。
福原愛のwikiプロフィール
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名前:福原 愛(ふくはら あい)
生年月日:1988年11月1日
年齢:[birth day=”19881101″]歳
出生地:宮城県仙台市青葉区
国籍:日本
職業:Tリーグアンバサダー、解説者、経営者
世界ランク:最高4位(2015年10月)
所属歴:1998~2005年・ミキハウス、2007~2009年・全日本空輸(ANA)
代表歴:日本代表・2002~2016
身長:155cm
血液型:B型
学歴:早稲田大学・スポーツ科学部中退
配偶者:江 宏傑(ジャン ホンジェ)
配偶子:息子、娘
趣味:読書
特技:水泳、中国語
公式Instagram:https://www.instagram.com/aifukuhara9113/
公式Twitter:https://twitter.com/aifukuhara1101
「愛」という名前は、彼女が出生する1年前に亡くなった、祖母「愛子」さんから1文字、貰った名前だという事です。
福原愛さんは、生後6ヵ月でスイミングを始めたといい、両親が卓球か水泳、どちらをさせるか悩んだと言われています。
結果的に、母親が兄の卓球に付きっきりだった寂しさから、自身で卓球を選びました。
まとめ
今回は、福原愛さんの父親は、絶縁したまま他界していた事実についてや、壮絶な過去を徹底調査してみました。
福原愛さんと父親の武彦さんは、2008年頃から関係が悪化し、絶縁状態になりました。
その後も連絡など取らず、彼女が看取る事なく、2013年10月6日に逝去しました。
メディアでは、大きく取り上げる事のなかった裏側には壮絶な過去がありましたね。
事業も立ち上げたという事で、これからの福原愛さんに期待し、応援していきたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。