何度かの怪我に苦しみながらも10秒の壁を超え,100m自己ベストは9秒95!!という記録保持者である、2021年東京オリンピック陸上100m代表、山縣亮太選手。
リオデジャネイロ五輪では男子4×100mリレーの第一走者として、銀メダル獲得に貢献!個人では、五輪における日本選手史上最速を記録したトップスプリンターですね!
今回は、大注目の山縣亮太選手の父がスポーツ用品店経営をしている!?陸上を始めたのは、お兄さんの影響もあった!?など、気になる山縣選手の〝家族〟について、ご紹介します♪
山縣亮太の実家
引用:https://safarilounge.jp/online/fashion/column/detail.php?id=6493&p=1
山縣亮太選手の父・浩一さんは、広島でスポーツ用品店「スポーツのニシヒロ」を経営しています。
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山縣選手の父のお店!?ということは、陸上中心の品揃えなのでしょうか?と思いきや・・・主力はサッカー用品なんだそうです(笑)
連休中の営業スケジュールです😃
7/22(木・祝) 営業10時〜19時まで
7/23(金・祝) 休み
7/24(土) 通常営業10時〜20時まで
7/25(日) 休み明日、7/22(木・祝)はお会計時に『ツィッター見ました‼️』で店内ウェア全品
定価から25%割引き‼️😆そして、店正面に所縁のある選手の応援幕を掲示しました🇯🇵😄 pic.twitter.com/WwKikDous0
— スポーツのニシヒロ (@Nishihiro012) July 21, 2021
「スポーツのニシヒロ」は、学校で使用するスポーツ用品、サッカー用品を多く取扱っているようで地元チーム〝サンフレッチェ広島〟が主要取引先であり、同チームの株主でもあるようです。
山縣亮太の家族構成
引用:https://safarilounge.jp/online/fashion/column/detail.php?id=6493&p=1
イケメンで年齢的にも気になる山縣亮太選手、結婚はしているの!?
現在は独身だそうです。が、陸上の福島千里(ふくしま ちさと)さんと噂になっているようですね。
今シーズンもありがとうございました。 pic.twitter.com/UQKHUyf8cj
— 福島千里 (@Fukushima0627) October 21, 2019
2人は同じセイコーの陸上部ということ。ともに陸上短距離のトップアスリートなので、様々な大会やイベントでも共演してきました。
もしかすると、今後二人から結婚!?など、おめでたい報告などがあるのかもしれないですね♪オリンピック後にも注目ですね!
引用:https://campbbq.jp/yamagataryota-family/
山縣亮太選手の家族構成は
- 父親…山縣浩一
- 母親…山縣美津江
- 長男…山縣昌平
- 次男…山縣亮太
山縣亮太選手は4人家族の次男。父の浩一さんは、亮太選手が辛い時や苦しい時には一緒に釣りにいってリフレッシュするそうです♪
父、浩一さんは、子育てをするときに気をつけていたことがあるそうです。それは、『誉め続けること』だと言います!
勉強をやりなさいと言って、亮太の悪いところは当然怒るんですけど、陸上で怒ったことはない。と幼い頃を振り返った。
どんどん記録を伸ばした中で、子育てでは「褒め続ける」ことを意識していたという。
引用:THEanswerhttps://news.yahoo.co.jp/articles/59f1adfca37360341158b6df874dbeae4b75fd71
父、浩一さんは、誉め続けることで、山縣亮太選手の才能を伸ばし、そしてサポートしてきたんですね。見た目通りの優しいお父さんなんですね。
引用:https://mapimark.com/yamagataryouta-family/
山縣亮太選手の母、美津江さん。年齢は、お父さんより3歳上になります。山縣選手は、母、美津江さんともとても仲良しだそうです。
2015年4月、山縣選手は慶應義塾大学を卒業し、時計大手のセイコーホールディングスに入社しました。そして初任給の使い道について、次のように話しています。
「給料をもらったらまず親に何か買ってあげたいなと思います。気持ちを表せるもので。母親が梅酒が好きなので梅酒を買ってあげようかな」
引用:https://cyclestyle.net/article/2015/04/02/21506.html
そして、2016年のリオデジャネイロ五輪の代表内定が決定した時、山縣亮太選手は、「両親がいなければここまで陸上を続けてこれなかった」とコメントしています。
それに対し、母、美津江さんは、「こんなに恵まれた母は世界中を探してもいないと思います」と、話されています。
お互いを大事に想い尊重しあう、素敵な母で息子ですよね♪山縣選手は本当に両親と仲が良いのでしょうね!
引用:https://www3.nhk.or.jp/sports/story/4747/
そして、山縣亮太選手の兄、山縣昌平さん。年齢は、山縣選手より2歳上です。実は、山縣選手が陸上を始めたのは、お兄さんがきっかけだそうです。
ある日、お兄さんが陸上の大会で入賞し、賞状をもらって帰ってきます。当時、小学校3年の山縣選手の目には、それはとても大きく、眩しいものに感じたそうです。
山縣亮太選手はその賞状がうらやましくて『僕も来年その大会に出る』と、奮起!翌年、同じ大会に出場しなんと、2位を大きく引き離し、ぶっちぎりで優勝しました!
山縣亮太オリンピック決定だって!やば!★★★山縣亮太のWikipediaできとった!やば!笑 Yahooの検索の候補?みたいなとこに「山縣亮太 イケメン」ってあった!やば!笑笑 兄の昌平の方は机に5日前の甘納豆パンを隠してた人なのに!やば!!笑 林先生は大喜びだろうな★★★
— たかゆい (@kykyf26) June 11, 2012
兄、昌平さんの現在はわかりませんでしたが、学生の頃は、机にパンを隠していた!?など、面白いエピソードもある方だったようですね(笑)
山縣亮太は未熟児で生まれた
引用:https://non-stopadventure.com/yamagataryouta-famil
山縣亮太選手は、予定よりも2ヶ月早産で生まれたそうです。そのため、出生時の体重が1730gでした。未熟児の場合、低体重というだけでなく、内蔵機能が未熟なため大変危険です。
未熟児とは・・・37週未満で生まれた新生児です。生まれた時期により、未熟児の臓器は発達が不十分であるため、子宮外で機能する準備がまだできていないことがあります。
新生児の約10%は、未熟児であること、胎児期から新生児期への移行に際する問題、低血糖、呼吸困難、感染症、およびその他の異常のために出生後に特別なケアを必要とします。専門的なケアはしばしば、新生児集中治療室(NICU)で提供されます。
引用:https://www.msdmanuals.com/ja-jp/ホーム/23-小児の健康上の問題/新生児の一般的な問題/未熟児
山縣亮太選手は、肺の機能が万全ではなかったようで、生まれてから、2カ月間新生児集中治療室(NICU)で過ごし、体にはチューブが通され呼吸は弱々しかった。ということです。
そんな我が子を見守るご両親にとっても心身ともに辛い時期だったことでしょう。
父、浩一さんのノートには当時の胸中が記されていました。
「助けてください」
「亮太が無事に育つことを祈る」
山縣亮太選手が未熟児で生まれ、55日間もNICUで過ごし、退院することも出来ず、弱々しい呼吸しかできなかった子が、
元気に大きくなって、努力で日本新記録を樹立したというのは、たくさんの人々に勇気を与えたのではないでしょうか!
===
✎
時の記念日生まれ、
SEIKO所属、
日本新記録。
まさに、時の人。✎
9秒台が4人もいる時代に、
東京五輪がやってくる。✎
未熟児で産まれた男の子は、
やがて日本最速の男になった。===
【#勝手にキャッチコピー提案】
No.292:山縣亮太様#山縣亮太@V7Jqq pic.twitter.com/8YZQbyNiJX— 前園日記✍ (@maesono_copy) June 12, 2021
山縣亮太選手は未熟児からスター選手へ成長した。ということだけでなく、度重なるケガにも悩まされ、何度も復活し記録を出し続けている努力家なんですね!!
山縣亮太のwikiプロフィール
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名前:山縣 亮太(やまがた りょうた)
生年月日:1992年6月10日
年齢:[birth day=”19920610″]歳
身長:177cm
出身地:広島県広島市西区鈴が峰町
出身校:広島修道高→慶応義塾大学
所属:セイコーホールディングス
twitter:https://twitter.com/V7Jqq
Instagram:https://www.instagram.com/y.ryo34/?utm_source=ig_embed&ig_rid=2f79949f-c81e-476f-b7fe-35565bb08702
【自己ベスト】
100m:9.95(2021.6 布勢スプリント)
200m:20.41(2013.5 関東インカレ)
【主な代表歴】
オリンピック(20東京、16リオ、12ロンドン)
世界選手権(13モスクワ)
アジア大会(18ジャカルタ、14仁川)
【日本記録保持種目】
100m
1992年、時の記念日である6月10日、広島県広島市西区鈴が峰町で未熟児で生まれ「生きるか、死ぬか」という危険な状態で、2ヵ月間新生児特定集中治療室(NICU)で過ごした山縣亮太選手。
小さい頃から運動神経抜群で、特に足が早く〝小学校一年生の時子犬と遊んでいたら怒った母犬が追いかけてきて、犬より早く走って逃げた〟や〝中学生の頃には車と競争していた〟
など、最速である山縣亮太選手らしいエピソードがあります♪
小学生の頃は野球と陸上をやっていましたが、徐々に陸上の道へ。そんな山縣選手も幾度となく怪我などで挫折を味わったこともあったそうです。
しかし、たくさんの努力と仲間や家族などの支えもあり、2021年には100m走を日本新記録の9秒95を出す!など、日本最速の称号を手にしています。
まとめ
未熟児として生まれ、数々の怪我にも悩まされてきたという山縣亮太選手。〝もう走れない〟と思ったこともあったそうです。
それでもいつも応援してくれる家族に対する感謝の気持ちなどが、競技を続ける原動力になったことでしょう!
今回は、山縣亮太選手のご家族、父・母・兄について調べましたが、山縣亮太選手の活躍の陰には、温かく支えてくれる〝家族〟の姿がある。ということがわかりました。
今回の東京オリンピックでも家族の前でメダル獲得!となるのでしょうか!?今後の活躍がとても楽しみですね♪