今や全世界で人気を博し、世界中で知らない人の方が少ないのではないかと思われるBTSにも知名度が低かった時期がありました。
熱狂的なファンの少なさに悩んだり、世間や芸能界からの心ない言動に苦しめられていたんです。
BTSはこれらの状況をどのように乗り越えたのでしょうか?
4つのBTSがつらかった過去のエピソードを紹介するとともに、BTSが世界的なアーティストとなった秘訣を探っていきたいと思います!
小事務所からのデビュー!覚えてもらえず名前入りの衣装!
BTSの所属事務所であるBig Hitエンターテインメント(現在のHYBEエンターテインメント)は、JYPエンターテインメントのプロデューサーだったパン・シヒョクさんが独立し、設立しました。
そのためBTSがデビューした時は、Big Hitエンターテインメントの所属アーティストはBTSのみでした。つまりBTSは新鋭・無名の小事務所からデビューしたんです。
シュガは事務所からもらう月30万ウォン(約3万円)では生活できないため、事務所に内緒でアルバイトをしていたという話をしたことがあります。
練習生がデビューするまでに掛かる費用は、1人あたり2000~5000万円と言われる韓国アイドル界で、SMエンターテインメント・YGエンターテインメント・JYPエンターテインメントのような三大芸能事務所ほど金銭的余裕がない小事務所の練習生は、
過酷な環境で練習生活を送っていたことがわかりますね。
さらにBTSがデビューしたばかりだった頃、音楽番組などのスタッフにメンバー全員の名前を覚えてもらうため、名前入りのTシャツやジャケットを着用していたんです!
🐱他の新人さんは名札をつけたりするのですが、僕らはやる気を込めて服で作ってみました!
👤ハングルで書いたらもっと良くないですか?
🐱ラップモンスターをハングルで書くとちょっと、、、笑名前入りのTシャツかわいいww#BTS #バンタンpic.twitter.com/v9kqVGhYqY
— Narumi💜ARMY (@NaruHaya2) October 18, 2019
新人韓国アイドルが音楽番組のリハーサルで衣装の上から名前入りのゼッケンを羽織るのはよく見かける光景ですが、名前入りの衣装を作るなんて斬新ですよね。
今やBTSのメンバーの名前は知らない人の方が少ないと言えるほどですが、始まりは名前入りの衣装だと思うと感慨深いです。
デビューショーケースでファンからの冷たい反応
ジョングクは「Magic Shop」をARMYに贈る曲として作っていますし、BTSのメンバーはいつも「ARMYのために」と言って活動しています。
そんなBTSを支えるARMYが冷たい反応をするなんて考えにくいですよね。
以前BTSが公式YoutubeチャンネルBANGTANTVで、デビュー8周年を記念して「ARMY万屋」というコンテンツを配信しました。この動画内でBTSがファンの冷たい反応に苦しんだ過去を明らかにしたんです。
デビューショーケースでBTSのメンバー1人ずつが前に出る場面があったのですが、ファンの反応は薄かったそうです。
今ならキャーキャーという声が止まらない状況だと思うので、反応が薄いなんて想像できませんよね。
J-HOPEとジョングクはこの場面を思い出して「鳥肌が立ちそう」と言い、他のメンバーも舞台裏で出番を待っている間「お願いだから目を合わせないで」と祈っていたと話していました。
では一体なぜ、反応が薄かったのでしょうか。その理由は、まだまだ知名度もなかったBTSは、来場した人が全員会場に入れるほど、ショーケースの競争率が低かったそうです。
BTSのファンだから来たというよりも、ブログを見てフラッと来た、ショーケースがどんなものなのか1回来てみたかった、という人も多く、その時にBTSの存在を知った、という人ばかりでファンだから来た人ではなかったようです。
当時まだ若かったBTSメンバーの心情を考えると、自分たちを知らない人の前でイベントを行うのは苦い思い出となったようですが、今は笑って話せるほどに大スターになりましたね!
パクリ・すぐ消えると批判の声も
BTSはデビュー当初のインタビューで「ロールモデルはBIGBANG」だと言い、リーダーとしてRMが「新人アイドルが生き残るのは大変ですが、生き残ってたくさんの人に愛されるアーティストになる」と話しました。
これに対して「BTS?誰それ?」「BIGBANGを目標にするなんて無茶だ」「BTSはすぐいなくなる」といった批判の声が絶えませんでした。
BTSが音楽番組で初めて1位を獲ることができた「I NEED YOU」は、デビューから3年目に出した曲でした。
韓国の音楽番組は音源成績、ファン投票、YouTubeの再生回数を元に1位を決めるので、音楽番組で1位を獲ることができたということは韓国で人気があるアイドルグループということになるのです。
今では音楽番組で1位を総なめし、出演していない音楽番組でも1位を獲得しているBTSですが、初めて1位を獲るまでの道のりは険しかったことがわかります。
それから2016年の第18回Mnet Asian Music Awaedsで「今年の歌手賞」という大賞を受賞します。
2017年には韓国アイドルで初めて全米アルバムチャートで1位を獲得し、ビルボード・ミュージック・アワードも受賞しました。
さらに2018年には第10回Melon Music Awardsで7冠を、第20回Mnet Asian Music Awaedsで5冠を達成します。
2019年以降も受賞記録を増やし続け、RMがデビュー当初に言った通り、BTSはたくさんの人に愛されるアーティストになりました!
パク・ミョンスが冷たい対応した事をカミングアウト!
2021年3月16日放送のKBSクールFMラジオ「パク・ミョンスのラジオショー」で、パク・ミョンスさんが自身とBTSに関する過去のエピソードを話しました。
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パク・ミョンスさんは韓国の芸人で、歌手やDJ、実業家としても活動しています!
自分自身を大物スターと称えたことから「巨星」というニックネームがつき、ファンの間では「巨星パク・ミョンス」と呼ばれているんです。
ちなみにパク・ミョンスさんは芸能事務所を立ち上げているのですが、その会社の名前も「巨星エンターテインメント」です。
そんなパク・ミョンスさんはBTSがデビューして間もなかった2014年にトイレでBTSと居合わせたそうです。
当時のBTSのメンバーからするとパク・ミョンスさんは大物芸能人でした。
そこで「私たちはBTSです。」とあいさつし、「一緒に写真を撮ってください。」と話しかけますが、パク・ミョンスさんはそれを断り、「あっちに行け。」とまで言ったんだとか。
ラジオでは7年前のその出来事を後悔していると語っていました。
さらに「BTSの歌は全部良いけれども、『Dynamite』は特に良い。」とBTSのことを褒め、ビルボードでも認められる理由がわかると言っています。
BTSは当時のパク・ミョンスさんのトイレの対応を覚えているのか気になるところです。
コンセプト変更で大ブレイク!
先ほどBTSがデビューしてから3年目で出した「I NEED YOU」という曲で、初めて音楽番組で1位を獲ることができたと言いましたよね。
この時1位を獲ることができたのは、BTSがデビュー当初よりも知名度を上げ、ファンも増えたからではあるのですが、I NEED YOUがそれまでリリースしてきた曲とコンセプトが異なり、大衆受けしたという理由もあると考えられます。
BTSはヒップホップアイドルというコンセプトでデビューしたので、デビュー曲の「No More Dream」をはじめ、「Boy In Luv」や「Danger」などヒップホップ色の強い楽曲を作っていました。
しかしなかなか実績が出ないということで、少しの路線変更を考えます。そこで誕生したのがヒップホップ調ではなく、哀愁漂うI NEED YOUという曲でした。
I NEED YOUは楽曲の雰囲気が今までと異なるだけでなく、ミュージックビデオの撮り方も違います。
今までのミュージックビデオはBTSのメンバーのパフォーマンス中心だったのですが、I NEED YOUからはストーリー性のあるショートドラマのようになったんです!
このミュージックビデオのストーリーは、I NEED YOUが含まれるBTSの青春三部作「花様年華」シリーズの第1弾ミニアルバム「花様年華pt.1」から始まり、2020年に発売された「MAP OF THE SOUL:7」まで続いていると考えられています。
#あなたのBTSはどこから
I need you→RUN→Euphoria→
FAKE LOVE→Epiphany→IDOL
が、花様年華のMVとしては伏線バリバリなんだけど、上のどっかにsingularityが入る気もする(テテの歌詞から見ると)考察も深いBTS。 pic.twitter.com/Vj6hqJ0VuZ— ☪︎⋆月猫 tuki☽neko 紙もの、コラージュ好き、オタクで微妙にarmyやってます← (@moon663189) February 28, 2021
新曲が出るたびにARMYによってストーリーが解読されてきました。「考察班」と呼ばれるARMYまで登場しているほどです。
BTSが世界中の人々を虜にしている理由の1つがI NEED YOUから始まった壮大なストーリーだと言えます。つまりI NEED YOUはBTSのターニングポイントなんですね。
まとめ
今回はBTSがデビューしてから有名になるまでのつらかった経験を見ていきました。
BTSが初めて音楽番組で1位を獲ることができたのはデビューしてから3年目のことで、1位を獲るまでの道のりは長かったのだなと思ったのですが、新鋭・無名の小事務所からデビューしたことを踏まえると異例のスピードだったのかもしれません。
「すぐいなくなる」といった心ない発言に耐え、悔しさをバネに世界的アーティストになった姿はとてもかっこいいですね。
最後までご覧くださり、ありがとうございました♪