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【BTSの過去】2011年にデビューするはずだった防弾少年団は?結成までの経緯!

2021年にデビュー8周年を迎えたBTS。彼らのデビューは2013年6月ですが、実は当初の計画ではグループは防弾少年団として2011年にデビューするはずでした。

その頃は今とはメンバー構成もコンセプトも大きく違ったグループでしたが、デビュー直前にグループの路線を大きく変更。なぜ2013年デビューになったのか、また現在の7人がBTSのメンバーとして選ばれた経緯について、おさらいしていきましょう!

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2010年の時はRMとIRONのグループとして結成された

防弾少年団というグループ名が生まれたのは2010年のこと。

プロデューサーのパン・シヒョクさん(パンPD)が、Big Hit Entertainment(現 HYBE)を設立し、ヒップホップグループを作ろうとオーディションを最初に開催したのが2010年ですが、そのときからすでに防弾少年団というグループ名はありました。

RMのラップをみたパンPDがその才能に惚れ込み、RMを中心としたヒップホップグループを作ろうとして生まれたのが防弾少年団、というのは有名なエピソードですよね。

当時アンダーグラウンドで「大南朝鮮ヒップホップ協同組合(テナムヒョプ)」というグループで活動していたRMは、パンPDに才能を見込まれてBig Hitに所属。その際にRMが事務所に紹介したのがIRONさんです。

RMと同じく「大南朝鮮ヒップホップ協同組合」のクルーとして活動していたIRONさんは、RMの紹介により防弾少年団の候補生に。RMとともに、デビューに向けて準備を進めていました。

当時はRMとIRONさんが防弾少年団の名前で歌手のイム・ジョンヒさんとフューチャリングしたことも。その頃の防弾少年団は、現在のBTSの路線とは異なった、ラッパー中心のヒップホップグループとして構想が練られていました。

パンPDがオーディションを開催!

同じ時期に、パンPDは防弾少年団のメンバーを集めるために公開オーディション「HIT IT」を開催。オーディションは、すでに練習生だったRMと挑戦者のラップ対決方式で行われました。ここから現在のBTSメンバーが少しずつ集められます。

SUGAはオーディションで全国2位という好成績を残し、事務所に所属。J-HOPEも所属していたダンススクールで行われたオーディションでみせた練習熱心な姿が事務所の目にとまり、Big Hitの練習生となりました。

2011年に開催された2度目のオーディションの最終選考では、RM、SUGA、J-HOPEの3人がパフォーマンスを行ったことも。BTSの1stミニアルバム「O!RUL8,2?」にも収録されている方言ラップ「八道江山」を披露して話題になりました。

このオーディションで集められた約30人が、BTSのデビューメンバーを決める「防弾少年団プロジェクト」に参加。Big Hitの練習生として、宿舎で共同生活を送りながらデビューを目指して競い合うことになります。

コンセプト変更でアイドル路線へ

防弾少年団結成当時はラップがメインのヒップホップグループとしてのデビューを想定していたパンPDですが、この頃にグループのコンセプトを大幅に変更。ラップよりダンスパフォーマンスにフォーカスしたアイドルグループへ変化していきます。

コンセプトを変更した理由や、詳しい時期については明らかにされていませんが、この路線変更をきっかけに、ラッパー志望だった練習生仲間の多くが事務所を退所したそうです。RMが紹介したIRONさんもこのタイミングで事務所を辞めてしまいます。

このコンセプト変更もあり、2011年デビューの予定だった防弾少年団のデビューは先送りされることに。デビューの見通しが立たなくなった当時、RMとSUGAは何度も事務所を辞めようと思ったそうです。

デビュー後、SUGAはこのコンセプト変更についてパンPDに文句を言っていたこともありましたね。「入所当時ダンスは必要ないと言われていたのに、いまはどのアーティストより僕たちのダンスが大変」と冗談まじりに不満を語っていました。

コンセプト変更をきっかけに事務所を辞めたIRONさんはその後、Mnetのヒップホップオーディション番組「SHOW ME THE MONEY」に出演。その際にRMはTwitterでエールを送っていました。

IRONさんのほかにも、このタイミングで事務所を去った練習生の中には、現在ラッパーとして活躍しているアーティストがたくさんいます。

現在のBTSが誕生

そのようにしてアイドルグループとして舵を切った防弾少年団に、最初に加わったのがジョングクです。別のオーディション番組に参加するも敗退してしまったジョングクのパフォーマンスをみたBig Hitのスタッフが、ジョングクをスカウトしたことがきっかけです。

当時大手事務所を含めて計7社からスカウトを受けたというジョングクが、RMのラップに感銘を受けて弱小事務所だったBig Hitを選んだというエピソードはARMYの間では有名ですね。

ここから、ジン、テテ、ジミンが続々と防弾少年団の候補生に加わります。この頃はメンバーの入れ替わりが激しく、宿舎に練習生が1人加われば1人去るというかなり過酷な環境だったそうです。

俳優志望だったジンは大学の映画芸術学部に通っていましたが、大学通学中にスカウトされてBig Hitに所属することに。ダンスも歌も未経験だった中、すでに高いダンスや歌唱スキルを持つ練習生に囲まれながら、必死にレッスンに励みました。

テテはBig Hitの公開オーディションを受けようとするも両親から反対されて参加を断念。友人の付き添いでオーディションを見学しますが、その際に審査員から非公開オーディションに誘われます。

そのオーディションで唯一合格したテテは、防弾少年団の秘密兵器として非公開練習生に。2013年のBTSデビュー発表時にはじめて、メンバーとして公開されました。

芸術高校に通っていたジミンは、先生から勧められて釜山で行われたBig Hitの公開オーディションに参加。もともとダンスの経験も豊富だったジミンは、見事練習生に選抜されます。

最後に練習生となったジミンが入所した頃には、すでに防弾少年団としての輪郭が出来上がっていたそうで、ジミンはメンバーに選ばれるために1日何時間も練習を重ねたそうです。

いつメンバー候補から外されるかわからないサバイバルな状況下で仲間同士競い合ったこの下積み時代があるからこそ、現在のBTSの圧倒的なパフォーマンスや、絆の強さが生まれたんでしょうね。

こうして、紆余曲折を経て現在のBTSメンバーであるジン、SUGA、J-HOPE、RM、ジミン、テテ、ジョングクの7人がデビューメンバーとして選ばれます。

2012年の12月には防弾少年団の公式Twitterが立ち上げられ、メンバーが順番にツイートで自己紹介。デビューメンバーとして公開された順番は、RM、ジン、SUGA、ジミン、ジョングク、J-HOPEの順でした。

そして2013年6月13日に秘密兵器だったテテがついにメンバーとして公開!7人組の防弾少年団としてデビュー曲「No More Dream」でデビューを果たします。

こうやって経緯を追ってみると、パンPDによるさまざまな決断とメンバーの絶え間ない努力の末に、現在のBTSが誕生したことがよくわかりますね。

BTSが今の7人グループではないなんて考えられませんし、さまざまな困難にぶつかりながらも、BTSとしてデビューすることを選び、努力を続けてくれたメンバーに感謝ですね!

まとめ

いかがでしたか?今回は、BTSが現在のメンバーでデビューするまでの経緯についてまとめてみました。

今や世界的なスターとなった彼らですが、過去にはグループのコンセプト変更による葛藤や、仲間と競い合う過酷な練習生時代があったんですね。

そんな困難を乗り越えてデビューを掴み、デビューから8年たった今も挑戦を続けるBTSがかっこいいですね!これからもそんなBTSを応援していきましょう!

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