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中田翔が高校時代の平成の怪物から巨人へ移籍するまでの野球経歴!

2021年8月20日、中田翔選手が日本ハムファイターズから読売ジャイアンツへ無償トレードで移籍という衝撃のニュースが発表されました。日ハムファンならず野球ファンの多くの方がビックリしたのではないでしょうか。

中田翔選手は、2021年8月4日のエキシビジョンマッチ・対DeNA戦の試合開始前に同僚の選手に暴力行為を行ったことが判明し、同年8月11日に球団から無期限の出場停止処分を言い渡されていました。

2021年8月16日には栗山監督が、「このチームでは難しい」と退団を示唆する発言も見られましたが、球団の主力であり、長年球団を支えてきた選手だけにさすがにそれはないだろうと思っていましたが、発言からわずか4日後に、巨人へ無償トレードが発表されました。

高校時代には平成の怪物スラッガーと呼ばれ、その豪快なバッティングや立ち振る舞いから「清原2世」とも言われた中田翔選手。なぜ巨人へ移籍することになったのか、これまでの経歴などを振り返りながらみていきたいと思います。

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中田翔の生い立ち


中田選手は、広島県広島市で生まれ育ちます。母子家庭の二人兄弟でお兄さんがいるようです。母子家庭だったことや中田選手の風貌やイメージから父親についてはよくない噂も囁かれていますが、真相は定かではありませんので、ここでは深く触れないでおきます。

中田選手は、小学3年生の時に「広島鯉城リトル」で野球を始めると、最初は捕手をしていましたが、6年生の時に投手に転向しております。中学に上がると、広島鯉城シニアに所属し、連盟記録となる51本塁打を放っているようです。

3年生の時には、シニアの日本代表に選ばれると、全国の精鋭が集まる中でもエースで4番を務め、アメリカ遠征では4本塁打を放ちMVPに輝くなど、世界大会準優勝に導く活躍だったようです。さらに中学生ながら球速も141㎞/hを計測したこともあるそうです。


中学時代からすでに怪物の片鱗がみえていますね。しかも日本代表のエースで4番と、中田選手も二刀流だったようです。

大阪桐蔭高校からスカウト!平成の怪物誕生!

広島で生まれ育った中田選手は、広島カープファンだったようです。そうであれば、高校も地元広島の高校となりそうですが、大阪の名門・大阪桐蔭高校に進学することになります。

素行の問題や父親の存在などで広島では進学が出来なかった等の噂もありますが、大阪桐蔭の西谷監督は中田選手を獲得する為、1年半で約50回近く大阪から広島へ熱心に通い、中田選手を口説き落としたとも言われております。

いろいろな情報が飛び交っておりますが、高校進学についてご本人が真相を話されていました。中学時代の中田選手は、大阪桐蔭高校以外に他の高校からスカウトも来ており、ほぼ行くことの決まっていた高校があったようです。

そんな中、シニア選抜でバッテリーを組んだ岡田捕手(現西武ライオンズ)に、「大阪桐蔭で一緒に野球をやらないか、お前と一緒にやりたい」と熱心に口説かれたそうです。その岡田捕手の熱意に負けたこと、さらに西谷監督もスカウトに来ていたこともあり、


大阪桐蔭高校で野球をすることを決断したそうです。岡田捕手が熱心に声をかけていなければ、中田選手は他の高校に進学していたということですね。その高校がどこだったのか気になるところではありますが、ここから平成の怪物スラッガーが生まれることになります。

入学当時から1年生の中ではレベルが違ったようで、1人だけユニホームが与えられ上級生の練習に混ざっていたようです。デビュー戦は、京都の名門・平安高校との試合といわれ、その試合でホームランを放っているようです。おそらく高校第1号と思われます。

最終回には投手としてマウンドにも上がると、名門・平安高校の打者からストレートだけで、三者連続三球三振を奪う衝撃のデビューを果たしたそうです。

まさにレベチ!!

1年生の夏から早くもレギュラーを獲得し、5番・ファーストで2005年の夏の甲子園ベスト4の原動力となります。この時、3年生には平田良介(中日)辻内崇伸(元巨人)がいるなど、さすが名門・大阪桐蔭といったところですね。

この大会では、大会第5号のホームランを放ち、投手としてもマウンドに上がると、最速147㎞/hのストレートを投げ込むなど高校1年生とは思えない存在感を見せつけました。

秋にはエースで4番となり、2年の春には151㎞/hまで球速が伸びますが、肩を故障でしばらく投球ができなくなります。西谷監督は、打者より投手としての素質を感じていたようですが、故障後は球の切れが戻らず投手としては大成できなかったようです。

しかし、逆にバッティングへ専念できたことが、平成の怪物スラッガーを誕生させるきっかけになったのかもしれません。2年生の夏の甲子園予選・大阪大会では、新記録となる4試合連続本塁打を記録するなど、チームを甲子園出場に導きます。

その夏の甲子園では、春夏連覇を狙う横浜高校との初戦で、8回裏にセンターバックスクリーンへ推定飛距離140mと言われる特大ホームランを放ちます。

試合も11対6で大阪桐蔭が勝利しております。しかし、2回戦で斎藤佑樹(日ハム)擁する早稲田実業に敗れてしまいます。

3年の春の選抜大会にも出場した中田選手は、2回戦の佐野日大戦で、2打席連続ホームランを放ちます。2本目のホームランも推定飛距離140mと特大ホームランでした。平成の怪物の名にふさわしいパワーを見せつけます。甲子園では通算4本塁打を記録しています。

しかし、中田選手が平成の怪物と呼ばれるようになったきっかけは別のホームランにあるようです。そのホームランは、2年生の時の秋季近畿大会の準決勝・市川高校戦で放った1本がとんでもない飛距離でした。

この試合は、和歌山県営紀三井寺球場で行われたのですが、中田選手の打球は場外へ飛び出し、最初は推定160mとされていたそうですが、衛星写真を使用して計測し直した結果、推定飛距離170mに訂正されています。

金属バットとはいえ、推定飛距離170mは凄いですね。そして中田選手は、高校通算87本の本塁打を放っており、これは当時の歴代1位の記録でした。まさに平成の怪物スラッガーですね。その名に恥じぬ記録を残しています。

さて、ここまで中田選手の輝かしい野球伝説についてみてきましたが、次は番外編という感じで、中田選手のヤンチャ伝説も見ていきたいと思います。

中田翔ヤンチャエピソード

①猫を被っていた。

これは、大阪桐蔭高校の同級生西岡さんが話しておられました。制服の採寸の時に初めて出会ったようですが、その時、中田選手をみた西岡さんは「化け物みたいなオーラを出している奴がいた」と表現されております。

そう思いながら話しかけると、「広島です」「帰ります」と丁寧な言葉遣いの返答をしてきたそうです。見た目からは想像できない丁寧な返答に「めっちゃいい奴」と思ったと言っていました。

②入学式に剃り込みを入れていこうと思ったが失敗し、坊主(五厘)にした。

入学式に合わせて自分で剃り込みを入れていたら失敗したようで、失敗を隠すために坊主(五厘)にしたようです。そんな中、西岡さんの友達のナカヤマさんという方もバリカンで剃り込みを入れていたようです。


それを見ていた中田選手は、「後ろをやってやろか」と声をかけ、バリカンを手に取ると、ナカヤマさんの頭を後ろから坊主(五厘)にしていったそうです。この時、なんと二人は初対面!

この時の出来事を振り返り、自分だけ坊主(五厘)は恥ずかしいと思っていたところに、ちょうど髪を切っている奴がいてシメシメと思ったと語っております。

③高校時代、気に入らない先輩を乾燥機の中に頭から入れた。

これは、フジテレビのダウンタウンなうに出演した時に話しておられました。昔から偉そうにしている先輩が嫌いであったこと、後輩は可愛がりたいタイプであったことから、先輩が1年生をイジメているのを見て、乾燥機に入れたそうです。


この時から、後輩の面倒見のいい親分肌だったようですね。ただ先輩を乾燥機に突っ込むとは・・・もう少し穏便な解決方法を考えてほしかったですね。

ドラフトで4球団から指名!1億円の契約金で話題に!

2007年のドラフト会議では、佐藤由規投手(元ヤクルト→楽天)、唐川侑己投手(ロッテ)と並んで「高校ビッグ3」と呼ばれ、日ハム、阪神、オリックス、ソフトバンクの4球団から1位指名を受けると、競合の結果、交渉権を獲得した日ハムに入団します。

契約金1億円、出来高5,000万円、年俸1,500万円(推定)の新人最高上限で契約しており、これは高卒新人としては史上5人目で、高卒野手としては初めてのことでした。背番号もミスター日ハムと呼ばれた田中幸雄氏が着用していた「6」を与えられます。

1994年に新人の契約金最高上限額が設定されてから、中田選手以前に高卒新人で最高額の契約したのは、松坂大輔投手・寺原隼人投手・ダルビッシュ・有投手・田中将大投手の4人だけでした。4人に共通しているのは甲子園を沸かせた超高校級投手ということですね。

2007年に中田選手が高卒新人野手として初めて最高上限額で日ハムと契約して以降、2017年に同じく日ハムに入団した清宮幸太郎選手まで、約10年もの間、高卒野手で最高上限額の契約した選手はいませんでした。


この10年の間には、高卒ドラフト1位で入団した野手は、筒香嘉智選手・今宮健太選手・山田哲人選手・高橋周平選手・森友哉選手・岡本和真選手など球界を代表する選手たちもいましたが、いずれも上限最高額の契約ではありませんでした。

このことからも、中田選手がいかに高校生離れし、期待をされていたのかがわかりますね。

ちなみにこの年のドラフト会議(高校生選択会議)では、1位指名で、中田選手に4球団・佐藤選手に5球団・唐川選手に2球団と「高校ビッグ3」と呼ばれた3人に指名が集中するという出来事もありました。

日本ハムファイターズから巨人へ移籍!

高卒野手として初めて新人最高上限額で日本ハムファイターズに入団した中田選手、期待に応える為、年々成長を遂げ、日本代表にも選ばれるなど球団の顔としてその存在感を示してきた矢先、あってはならない事件が起きてしまいました。

2021年8月4日のエキシビジョンマッチ・対DeNA戦に4番でスタメン出場をし、第1打席で先制の2塁打を放っていましたが、2回の守備から交代するということがありました。

この交代について、栗山監督は「予定通り」と話していましたが、後に試合開始前に中田選手が後輩選手に暴力行為を行ったことが判明し、試合中に球場からの退場と自宅謹慎を命じられたことがわかります。

それと同時に8月11日に球団から無期限の出場停止処分を言い渡されていました。8月16日には栗山監督が、「このチームでは難しい」と退団を示唆する発言があり、それからわずか4日後には、巨人へ無償トレードが発表されました。

急転直下の出来事にも野球界にも激震が走ったのではないでしょうか。

中田選手とこの被害にあった選手は、一緒に食事に行くなど可愛がっていた後輩の1人だったようです。なぜ可愛がっていた後輩に暴力を振るってしまったのか?

後輩いじりの度が過ぎてしまい、「やめてほしい」と訴えたことに腹を立てたという風にも言われていますが、どういう理由があるにせよ、暴力を振るってしまうことはよくないことなので、球団も無期限の出場停止という思い処分を下したのでしょう。


しかし、その処分からわずか数日後の8月20日に、巨人への電撃トレードが発表されると、無期限停止処分も解除され、8月21日には巨人の一員として1軍の試合に出場を果たしております。

これには、野球ファンのみならず球界OB芸能界からも不満の声が続出しております。『移籍したら、処分が解除』という不思議な現象に、お笑い芸人の有吉さんは、芸能人のスキャンダルになぞらえて、『事務所を移籍すれば謹慎せずに済んだ』と表現されております。

巨人ファンの方からすると、無償で強力な補強が出来たともいえますが、巨人ファンの中にも処分解除は早すぎたと思う方もいるのではないでしょうか。他球団からすれば、あきらかに戦力アップしたと思いますので不満はでますよね。


球界OBの中には、まず日ハムで会見を開いて謝罪をすることが必要だったのではないかという意見やファンを無視しているという意見をみて、たしかにそれもあるなと思いました。

もう過ぎてしまったので時は戻せませんが、本当に謝罪の気持ちがあるならば、移籍後でも自ら出場停止処分を申し出るぐらいの誠意を見せてほしかったです。

今回の移籍や処分の解除について、様々な意見がでておりますが、今後、どのような対応を取っていくのでしょうか。

野球ファンとしては、心から応援したいと思いますので、このまま時間の流れとともに風化させるのではなく、もう少しすっきりとさせてほしいところです。

まとめ

高校時代は平成の怪物と呼ばれ甲子園を沸かせ、高卒野手として初めて最高上限額で契約し、日本ハムファイターズの顔となっていた中田翔選手についてみてきました。

後輩思いの親分肌である反面、ヤンチャさが悪い方に出てしまう形になり、野球のプレー以外のところで話題になってしまいました。

まだ32歳という年齢ですので、今後もプロ野球人生は続けられると思います。今のまま批判を浴びながらプレーするのはご本人も苦しいのではないでしょうか。球団としても本人としても世間が納得し、心から応援してもらえるような形を考えてほしいですね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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