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柳田悠岐がホームラン打者・強肩レーザービーム選手に成り上がるまで

福岡ソフトバンクホークスに所属し、東京五輪2020でも野球日本代表・侍ジャパンの一員として史上初の金メダルに貢献した『柳田悠岐』選手。現在は、日本球界を代表する打者として、真っ先に名前が挙がる1人ですよね。

豪快なホームランに、俊足を活かした盗塁レーザービームと呼ばれる強肩と、攻走守と全てにおいてハイレベルなパフォーマンスを披露する柳田悠岐選手は、どのようにして誕生したのでしょうか。

ということで、今回は、日本球界を代表する打者の1人、柳田悠岐選手がどのようにして、豪快なホームランを量産できるようになったのか?強肩から繰り出されるレーザービームという武器を手に入れることが出来たのか、紐解いていきたいと思います。

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身体が小さかった小・中学生時代

柳田選手は、広島県広島市の出身です。小学3年生の時に佐伯区の「西風五月が丘少年野球クラブ」に所属し野球を始め、最初は右打ちだったようですが、6年生の時に左打ちに転向したそうです。

実は、小学生の時は、水泳やバスケットボールなどさまざまなスポーツをやっていたようで、その中で、野球が一番楽しかったということで野球を始めたそうです。

この時、他のスポーツが楽しかったと感じていたら、『プロ野球選手・柳田悠岐』は誕生していなかったかもしれませんね。

でも今の柳田選手の身体能力を考えたら、他の競技でも日本代表やオリンピックに出るような凄い選手になっていたんだろうなと思うのは私だけでしょうか?

柳田選手と言えば、身長188㎝体重93㎏と恵まれた体格から繰り出されるフルスイングが代名詞にもなっていますので、小さい頃から大きかったんだろうなと思う方もいるかもしれませんが、実は小学生時代、身体は小さく、線も細かったようです。

当時から、足は速く、ミート力も高かったこともあり、1番を任されるような典型的なリードオフマンタイプの打者だったみたいですね。当時を知る指導者の方からすると今の柳田選手と当時の柳田選手と別人のようだというコメントもありました。

ただ、フルスイングの原点は、小学生の頃にあると、柳田選手本人が話しておられます。小学生の時は、怒られた記憶もほとんどなく野球は楽しかった思い出しかないようです。

その理由として挙げられるのが、チームの方針が「野球を好きになってもらう」を大前提に活動していることだそうです。まずは、野球をすること、身体を動かすことの楽しさを知ってもらうことが第一で、細かな技術指導は基本的に行わないチームだったようです。

小学生の頃から打球を遠くに飛ばしたいという思いから、バットをかなり振り回すバッティングだったようです。しかし、それに対して監督やコーチは指摘したり、矯正をすることはなかったようで、それが楽しくやることができた理由だと語られていました。

柳田選手のフルスイングというスタイルは、もうすでに小学生の頃から形成されていたものだったんですね。監督やコーチが本人の個性を尊重し、伸ばしてくれる、「西風五月が丘少年野球クラブ」素晴らしいチームですね。

広島市立伴中学校の時は八幡少年野球クラブシニア(軟式野球)に所属していたそうですが、全国大会などの出場の経験はないようでした。中学卒業時の体型は、身長170㎝ 体重58㎏だったようです。

高校・大学時代は?

高校は、地元の広島商業高校に進学します。広島商業高校は、春の選抜大会21回夏の選手権22回の出場を誇る強豪校です。県内では「春の広陵・夏の広商」とも言われていた学校のようです。元広島の達川光男さんの母校でもあります。

高校2年生の秋からレギュラーとして活躍をしていましたが、最高成績はベスト4で、甲子園の経験はないようです。高校通算で11本の本塁打を放っておりますが、今の柳田選手から考えたら少ないと思われる方も多いのではないでしょうか。

それもそのはず、高校時代の体型は、身長は180㎝を超えていたようですが、体重は68㎏とまだ線が細く、パワーヒッターではなかったみたいですね。


それから柳田選手は高校では最初、3塁手だったようです。しかし、練習試合で1試合3失策をしたことをきっかけに外野手へコンバートされたようです。当時の監督は、身体が硬く内野は難しいと思い、外野へのコンバートを決断したようでした。

ただ、このコンバートが柳田選手にとってはプラスだったようで、スローイングが力強くなり、遠投110mに伸び、50m走でも6秒を切るようになっていたそうです。

線は細いながらも地肩は強かったんですね。高校ですでに遠投110mとは凄い。50mも6秒切るとはかなり俊足の分類に入りますね。

実は柳田選手、高校で野球を辞めようと考えていたそうです。しかし、監督からのアドバイスもあり、広島経済大学に進学し、野球を続ける道を選びます。そして、高校から大学に上がる冬の期間に筋力アップを図ります。大学入学時には78㎏まで増量できたようです。

この筋力アップが功を奏し、大学1年の秋にはレギュラーを獲得し、広島六大学リーグで首位打者とベストナインを獲得します。その後も、安定した成績を収め、大学4年間で、首位打者4回、ベストナイン6回3年春の大会では最優秀選手賞も獲得しました。


大学通算82試合で打率.428、8本塁打、60打点と打率4割を超える成績を収めています。ただ、この成績をみるとホームランは少ないのかなという感じで、まだ、ホームラン打者というイメージは出てきませんね。

しかし、徐々にその前兆は現れていたかもしれません。実は大学通算8本塁打ですが、3~4年になってから記録したものです。3年春1本、3年秋2本、4年春2本、4年秋3本と着実にパワーがついてきてる証ではないでしょうか。


大学時代にも筋力アップを続けた結果、遠投が10m以上伸び、さらに50mも0.3秒早くなったと言われております。大学4年時には体重も約90㎏だったと言われていますので、大学4年間でしっかりと身体を作り上げることが出来たと言えるのではないでしょうか。

福岡ソフトバンクホークスに2位指名で入団!

2010年のドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスから2位指名を受け入団をします。ちなみにこの年、ソフトバンクには、育成4位で千賀選手、育成5位で牧原選手、育成6位で甲斐選手も入団しています。


今やソフトバンクを支える中心選手が4人も入団した年。当たり年ですね。育成力も恐るべし。

1年目は、主に2軍戦に出場し、77試合で13本塁打を放ち、ウエスタンリーグの本塁打王を獲得します。1軍でも6試合出場を果たしますが、初安打は生まれませんでした。

2年目は、1軍で68試合に出場し、初安打や初本塁打を記録するなど、打率246 本塁打5 打点18 盗塁6という成績を収めます。

3年目は、オープン戦で12球団トップの6本塁打を放ち、開幕1軍を勝ち取ると、怪我で離脱する時期もありましたが、104試合に出場し、打率295 本塁打11 打点41 盗塁10を記録し、オフにはトリプルスリーを目標に掲げます。

4年目は、監督推薦により初めてオールスターにも出場します。他球団のマークが厳しくなり、序盤は苦しみますが、最終的に初めて全144試合出場を果たすと、打率317 本塁打15 打点70 盗塁33の好成績を収め、ゴールデングラブ賞とベストナインも受賞します。

5年目は、シーズン終盤に死球で負傷し、スタメンを外れるも、138試合に出場し、打率363 本塁打34 打点99 盗塁32初の首位打者のタイトルの獲得と球団では初のトリプルスリーを達成します。契約更改では、1億8000万円増の推定2億7000万円で更改します。


前年が推定9000万円と言われていたので、1億円プレイヤーを一気に飛び超えて2億円プレイヤーになってしまいました。それだけの成績と貢献、あとソフトバンクだからできたアップ額ですかね。

6年目は、2年連続トリプルスリーが期待されましたが、他球団からのマークがさらに厳しくなり、なかなか波に乗ることが出来ずに、120試合出場で、打率306 本塁打18 打点73 盗塁23と前年より成績を落としてしまいます。

それでも打率3割をキープするあたりはさすがです。この年は四球がリーグトップの100個もありましたので、まともに勝負をしてもらえませんでしたね。四球が多くなるのは強打者としての証でもあります。


7年目は、打撃3部門でタイトル争いを繰り広げる等、3冠王も狙える成績を収めていましたが、シーズン終盤に負傷しタイトルを逃します。それでも、130試合出場、打率310 本塁打31 打点99 盗塁14という成績を収めます。

8年目は開幕から好調を維持し、130試合出場で、打率352 本塁打36 打点102 盗塁21本塁打と打点でキャリアハイを記録します。2度目の首位打者のタイトルと4年連続4度目の最高出塁率のタイトルを獲得しております。

9年目は、開幕して間もなく左足を負傷し登録を抹消されると、復帰までに時間がかかり、38試合出場、打率289 本塁打7 打点23 盗塁4という不本意な成績で終わってしまいます。

10年目は、開幕から好調を維持し、119試合出場、打率342 本塁打29 打点86 盗塁7で初めて最多安打のタイトルを獲得します。打率2位、本塁打3位、打点3位と打撃3部門で上位に入る活躍でした。

近年は盗塁数かなりが少なくなってきましたね。やはり怪我のリスクを回避する為でしょうか?ただ、盗塁数は打順やチーム事情もありますので、一概に怪我や年齢が要因とは言えませんかね。

福岡ソフトバンクホークスと7年契約!

2019年のオフに、福岡ソフトバンクホークスと7年契約を結んだことで話題になりました。大リーグ挑戦も囁かれた中での7年という大型契約だったので、ビックリでしたね。事実上、大リーグ挑戦は無くなったことを意味していました。

7年もビックリでしたが、契約のタイミングもビックリでした。柳田選手は2017年オフに2億4000万円増の推定5億円で年俸変動制3年契約を結んでいました。ですので、本来なら2020年オフにまた新たな契約を結ぶのがセオリーです。

しかし、3年契約の2年目終了時点で、翌年から新たに7年契約を結び直したことが発表されたからです。さらに最初の4年間は年俸変動制で下がることはなく、4年終了後に残りの3年の契約を見直す形で、年俸は推定5億7000万円+出来高と破格の契約内容です。

この時、柳田選手は、7年終了後に「フィニッシュです。そこまでは決まっています」と引退を示唆するような発言をし、生涯ホークス宣言をしております。

果たして、7年の契約終了後、柳田選手は引退してしまうのでしょうか?気になるところですね。気になると言えばもう一つ気になることが、『7年契約』。大リーグでは長期契約の話を聞きますが、日本でのここまでの長期契約は数少ない上、いいイメージがないのも事実です。

思い当たる節としては、元ソフトバンクの松中選手楽天の則元投手が7年契約を結んだ後の成績が契約以前に比べ物足りないというところから、どうしても長期契約となると大丈夫かなと不安が出てきてしまいます。

柳田選手は長期契約後の最初のシーズンではしっかりと結果を残していましたので、心配は不要かも知れません。同じくヤクルトの山田選手も今シーズンから7年契約を結んでいますが、2人で嫌なイメージを払拭してほしいですね。

まとめ

今回は、福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手についてみてきましたがいかがだったでしょうか?

現在では、身長188㎝ 体重93㎏と恵まれた体格ではありますが、小学から高校までは細身で、ホームラン打者ではなく、俊足を活かした典型的なリードオフマンだったというのは意外でした。

また、内野から外野へコンバートされたことで、持ち前の俊足がさらに成長し、遠投の距離も伸びるという、監督の采配もありました。その後の自らの努力で持てる力を最大限に発揮できる身体を作り上げたことが今の活躍に繋がっています。

少し怪我が多い選手なのが心配ですが、ここまで全試合に出場したシーズンが1度しかないので、怪我にだけは気を付けて頑張ってほしいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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