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甲斐拓也は育成6位からスタートの捕手!成り上がり野球人生まとめ!

福岡ソフトバンクホークスの正捕手・甲斐拓也捕手は、東京オリンピックに出場する侍ジャパンの正捕手も務めるなど、日本球界を代表する捕手と言われております。

「甲斐キャノン」と呼ばれる強肩が武器の甲斐拓也捕手は、高卒11年目の28歳。2017年から自慢の肩を武器に4年連続でゴールデングラブ賞を受賞しており、大器晩成型が多いと言われる捕手の中では早くから頭角を現していたことがわかります。

そんな甲斐拓也捕手ですので、高校時代から凄かったんだろうと思われがちですが、実は高校時代はほぼ無名の選手だったのです。

ドラフトでも、育成6位という下位での指名で福岡ソフトバンクホークスに入団した甲斐拓也捕手。日本を代表する捕手に成長するまでのプロセス、その成り上がりの野球人生をまとめてみましたので、一緒にみていきましょう。

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母子家庭で育った甲斐拓也

甲斐選手の地元は、大分県大分市になります。甲斐選手が2歳のころに両親は離婚しており、父親はおらず、母親(小百合さん)と3歳年上の兄(大樹さん)と甲斐選手の母子家庭で育ちます。

甲斐選手の母親は「育児にも時間が取れる」という理由から、地元大分のタクシー会社で女性ドライバーとして働いており、他にも空いた時間に仕事を掛け持ちしてパチンコ店の清掃のアルバイトもしながら家計を支えていたようです。

朝から晩まで働き詰めだったこともあり、仕事で目が届かない分、幼い兄弟には「良いことも悪いことも全部話すこと」と言い聞かせてきたと話されていました。

甲斐選手が今でも、ほぼ毎日電話を交わすのはその習慣からきているようです。

2010年に育成契約をし、2013年に支配下登録された以降に、甲斐選手から「結果が残せない」と悩みを打ち明けられた時に、母親は「もう帰っておいでよ」と言ったそうです。でも、本人は絶対に弱音は吐かなかったとエピソードで語られております。

この時、甲斐選手が地元に戻っていたら、今の「甲斐キャノン」が生まれてなかったのですね。辛いところを踏ん張って耐えたことが、しっかりと結果として現れ、今の活躍に繋がっていることがわかります。まさに「努力は必ず報われる」といったところでしょうか。

そんなお母さんですが、現在は、2017年に独立してタクシーの個人営業をされているようです。そのおかげで、以前より時間の自由が利くようになり、甲斐選手の試合の日は、仕事を休みにして、テレビ観戦や時には球場に足を運び、息子の雄姿を見守っているようです。

ちなみにお母さんは、車のナンバープレートの番号を甲斐の背番号と同じ「・・62」にしているとのことです。

今現在の背番号は「19」になっておりますが、甲斐選手が育成契約から支配下選手登録された時の背番号「62」。息子さんの背番号を車のナンバーにする!お母さんの愛情が伝わってきます。

高校時代の活躍は?なぜプロ野球界に入ったの?

甲斐選手の高校時代についてですが、まず3歳年上の兄(大樹さん)の影響を受け、小学1年生の時に野球を始めたそうです。

甲斐選手が中学生の時に、兄(大樹さん)がエースとして大分・楊志館高校を初の甲子園に導き、ベスト8入りした雄姿をスタンドで観戦しており、兄(大樹さん)の背中を追って甲斐選手も楊志館高校に入学しております。

甲斐選手は、中学時代に大分リトルシニアで全国大会に出場した経験もあるようですが、この時は捕手ではなく内野手だったようです。捕手になったのは高校に入ってからとのことで驚きです。

高校2年生から正捕手としてレギュラーの座をつかんだ甲斐選手でしたが、2年夏の大分県大会は準々決勝で、現在チームメイトでもある1歳年上の今宮健太選手擁する明豊高校に敗戦し、3年の夏はまさかの初戦敗退で、甲子園の出場は叶わなかったようです。

ちなみに今宮選手率いる大分・明豊高校は強かったですね。甲子園の常連校。現在はソフトバンクで遊撃手ですが、高校時代は投手もしており、172cmと小柄ながらMAX154㎞/hの直球と高校通算62本塁打と、大谷選手に引けを取らない二刀流でした。

甲斐選手、実は高校通算40本塁打を放っていますが、甲子園とは縁がなかったこともあり、プロのスカウトの目に触れる機会が少なく、3年夏の大分県大会が終わった時点で指名される可能性は皆無に近かったようです。

その為、甲斐選手は今後の進路としてプロという選択肢はなく、大学進学か、それとも就職かと悩んでいました。

しかし、そんな中、甲斐選手に一転、「奇跡」が起きます。楊志館高校・野球部監督の宮地氏は、進路に悩んでいる甲斐選手の様子を見て、九州を本拠地とするソフトバンクホークスの九州担当・福山スカウトに連絡を入れました。

「甲斐のプレーを一度見てやってくれないか」と願ったそうです。

福山スカウトは宮地監督の願いを聞き入れ、甲斐選手のプレーを見てもらえることになったのです。奇跡的に実現したテストをきっかけにソフトバンクの獲得候補リストに「甲斐拓也」の名前が挙がるようになったとのことです。

さらに幸運は重なります。2011年からソフトバンクホークスが本格的に「3軍制」という体制を稼働させる計画だったことです。何か1つ一芸に秀でた選手を中心に育成選手を獲得する予定があり、その計画にフィットした甲斐選手は育成6位で指名されたのです。

野球部の宮地監督の一言から始まり、福山スカウトの選手を見る目、ソフトバンクホークスの育成計画、偶然が重なって・・・いや日本を代表する捕手・甲斐拓也が生まれる為、偶然ではなく、重なるのは必然だったのではないでしょうか。

育成6位からのスタートがMVP選手!侍JAPANも大活躍!

ソフトバンクホークスから育成ドラフト6位で指名され入団しましたが、その年の全ドラフト指名選手97名中、名前を呼ばれたのは94番目でした。入団時の背番号が「130」で登録名は「拓也」だったようです。

この年のソフトバンクホークスはドラフト1位で山下斐紹捕手(現楽天)を指名しており、甲斐選手にとっては強力なライバルがいました。

ちなみに、この年は、ドラフト2位・柳田悠岐、育成4位・千賀滉大、育成5位・牧原大成、育成6位・甲斐拓也、と今のソフトバンクを支える中心選手が4人!しかもその内、3名が育成出身と、ソフトバンクホークスの育成力恐るべし!!!

甲斐選手は、じっくりと指導受けるとともに経験も積み、入団から3年後の2013年に支配下登録選手に昇格します。翌2014年には1軍出場も果たし、2016年に1軍での初安打と初打点を記録しました。

2017年、初めて1軍でスタメン出場を果たします。1軍での初本塁打は逆転満塁弾となるなど記憶に残るプレーを見せます。日本シリーズでは同じく育成出身の千賀投手とバッテリーを組んで勝利をあげ、日本一に貢献し、初のゴールデングラブ賞も受賞しました。

育成で入団してから7年にしてゴールデングラブ賞を獲得するまで成長した努力家です。

2018年にはレギュラー捕手としてスタメンに定着、12球団の捕手でトップの盗塁阻止率.447を記録し「甲斐キャノン」が誕生しました。

広島カープとの日本シリーズでは6連続盗塁阻止を決め、日本シリーズMVPとなり、2年連続でのゴールデングラブ賞を受賞します。

日本シリーズの6連続盗塁阻止は本当に凄かったですね!セ・リーグ断トツの盗塁数を誇った広島カープの盗塁をことごとく阻止。失敗しても仕掛ける広島カープにそれをしっかりと阻止する甲斐選手。見ていてワクワクしました。


2019年は自身初の規定打席に達して、育成出身初となる二桁本塁打を放つなど打撃面も向上、守備に関しても安定しており3年連続のゴールデングラブ賞を獲得。オフにはプレミア12の日本代表にも選出され、日本の優勝に貢献しました。

2020年も正捕手として出場し、2年連続となる二桁本塁打を記録し、4年連続4度目のゴールデングラブ賞、3年ぶり2度目のベストナイン、千賀投手と最優秀バッテリー賞を初受賞する活躍でした。

巨人との日本シリーズでは、全試合フルイニング出場し、抜群のリードで投手を引っ張り、巨人打線に手玉に取っていました。打撃面でも2本塁打を放つなどチームの4連覇に貢献しております。

2020年からは、ホークスのレジェンド捕手で、日本球界のレジェンドでもある野村克也氏がつけていた背番号19を継承しました。

甲斐拓也のwikiプロフィール

名前:甲斐 拓也(かい・たくや)

生年月日:1992年11月5日

年齢 :28歳

出身地:大分県

身長:170cm

所属:福岡ソフトバンクホークス

背番号:19(⇒61⇒130)

ポジション:キャッチャー

主な獲得タイトル

  • ベストナイン:2回(捕手部門:2017年、2020年)
  • ゴールデングラブ賞:4回(捕手部門:2017年 – 2020年)
  • 日本シリーズMVP:1回(2018年)
  • 最優秀バッテリー賞:1回(2020年 投手:千賀滉大)
  • 月間最優秀バッテリー賞:1回(2020年10月 投手:千賀滉大)

2018年3月30日には、育成選手時代の2013年より交際していた一般女性と結婚し、2018年10月10日に長男も誕生しております。

甲斐選手は守備につく際には必ずホームベース付近のグラウンドをしっかりと慣らし、最後に指でグラウンドに「心」の一文字を記すことを毎イニング続けているそうです。

その理由は、高校時代の出会った大崎さんという野球部のマネージャーが関係しているようです。2学年上の大崎さんは、甲斐選手が入学する前年に、末期の上咽頭がんと診断されてしまいます。

病魔と闘いながらも、マスク姿で野球部員を支える姿に、甲斐選手も胸を打たれたそうです。甲斐選手が1年夏の大分県大会、初戦敗退でしたが、大崎さんは念願だったベンチ入りを果たします。そして、その年の秋、18年足らずの生涯を閉じたそうです。

大崎さんがよく言っていた言葉が「心」で、亡くなる直前に色紙に書いてくれた言葉も「心」という言葉だったそうです。この時、「改めて『心』という言葉の大切さを思いました」と本人が話をされておりました。

大崎さんのことは残念ではありましたが、感動的な話です。書きながら思わず泣きそうになってしまいました。この時の先輩の言葉を胸に刻み、大崎さんの好きだった野球に今でも取り組まれているんですね。

まとめ

今や日本を代表する捕手として成長した甲斐選手ですが、これまでの道のりは決して楽ではなく、むしろ険しい道のりであったということがわかりました。

ドラフトで指名される可能性がなかった中から、監督の一本の電話、福山スカウトの選手を見る目、ソフトバンクホークスの育成方針といろいろなことが重なり、そしてもちろん本人が努力を続けてきたことで、現在の地位を築くことができたわけです。

努力は必ず報われるという言葉が当てはまります。

またその努力をし続けることが出来ているのは、お母さんの存在や高校時代の大崎マネージャーとの出会いも大きいのではないでしょうか。

まだ28歳と若い甲斐選手ですので、ぜひレジェンド野村克也氏を超える最高の捕手になってほしいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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