人物

【清塚信也の母親】韓国人で睡眠禁止の12時間ピアノ練習をさせていた!

ピアニストとして活躍する一方で、ドラマやバラエティ番組にも出演し、様々なメディアに出演している清塚信也さん。

そのピアノの実力は一流で、小さい頃からピアノの英才教育を受けてきた清塚さんですが、今回は彼のプロフィールや経歴、清塚さんを育て上げた母親についてご紹介していきたいと思います。

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人気ピアニストの清塚信也・幼少時代が凄まじかった…

音楽の世界とはとてもシビアで、ほんの一握りの人しか成功できない狭き門と言われていますが、その中でも成功をおさめ、今やピアニストとしてだけではなくドラマや映画などでもマルチな活躍を見せてくれる清塚信也さん。

(引用:Twitter)

そんな彼は音楽好きな両親のもとで育ち、家の中ではよくクラシックが流れており、5歳の頃からピアノを習っていたそうです。

幼少期から音楽に触れる機会が多かった清塚信也さんは、その環境のゆえ段々と絶対音感が付いていったと言います。

そんな中でも特に清塚さんの母親は、絶対に子供を一流に育てるとの強い決意のもと幼少期から普通では考えられないほどのスパルタ教育を施してきたのです。

とにかくクラシックが好きで憧れも強かったという⺟のもと、⾳楽の英才教育を受けてきたという清塚さん。「それはそれは、厳しくて…」と⾔うと、超スパルタお⺟様との珍エピソードを披露してくれました。

「姉が2つ上におりまして、僕と姉が2⼈で遊んで笑ったりしていると、⺟が”今笑うな!⼈⽣の後半で笑え”って(笑)⼩学校低学年の僕らに”笑う暇があったら練習しろ”って⾔うんです」続けて「あなた達は⾳楽家になれなかったら、⽣きていかなくていいですってハッキリ僕らに⾔うんです。凄いですよ。毎朝5時起きの朝練から始まって。たたき起こされるんですけど、時には眠くて起きれない時があるじゃないですか?そしたら”いい?⼈はいつかず〜っと寝るときがくるんだから今は起きなさい!って。⼩2とかですからね、それ(笑)」と超スパルタ⺟が発した格⾔を明かしました。

【引用元】https://www.mbs.jp/mbs-column/sawako/archive/2018/12/18/015256.shtml

今笑うな、人生の後半で笑え」、「音楽家になれなかったら生きていかなくていい」など、普通では考えられないスパルタ発言のもと朝5時から朝練を行っていたそうです・・・。

また「音楽と呼ぶな、勝負と呼べ」との格言のもと、2歳上の姉とともに練習に励んだと言います。

母親は韓国人!睡眠を禁止され一日12時間のピアノ練習?

想像を絶する凄まじい幼少時代を送ってきた清塚信也さんですが、母親のスパルタエピソードはそれだけではありませんでした。

(引用:Twitter)

清塚さんの母親は韓国人で、子供のころピアノやヴァイオリンを習いたかったそうですがそれが叶わなかったことや、音楽に対する憧れがとても強かったことから自分の子供には絶対に学ばせようという思いが強かったようです。

幼少期、実は「お笑いに憧れて、⼤好きだった」そうだが、⺟親は「あなたは⾳楽のことだけを考えて⽣きていけ」という教育⽅針で、なんと「学校も嫌だったら⾏かなくていい。漢字も計算も雑念」「家では⾳楽のこと以外はほぼ禁⽌」という厳しい教育だったと明かす。

【引用元】https://www.ntv.co.jp/007/articles/4t8u3biiqrp5wbxcq.html

『音楽は楽しむものではなく、勝負です』『音楽家にならなければ、一家は全滅です。死にます』そんな言葉を発するスパルタ教育の母の下、5歳の頃から毎朝5時起き、1日12時間練習というピアノ漬けの生活を送っていた清塚さん。しかし、コンクール前日だけはいつも厳しい母が唯一優しかったという。練習もほどほどで許され、夕飯は必ず、母の愛情たっぷりの特製「トマトシチュー」だった。

ただ、清塚家にとっては、コンクールは一家の生死(?)いや運命がかかった勝負の日。母からのプレッシャーを感じつつ食べるトマトシチューは、本当は美味しいはずなんだけど…緊張から全く味を覚えてないという。その意味で、清塚さんにとって“人生最悪”の一品。ちなみに、コンクールの結果が悪かった時、夕食がまさかの「水道水ご飯」だったこともあったとか。

【引用元】https://www.tbs.co.jp/saikourestaurant/archive/20191109.html

家では音楽以外のことはほぼ禁止、朝5時起きで1日12時間ピアノの練習、コンクールの結果が悪ければ「水道水ご飯」など、どれも衝撃受ける内容ばかりですね・・・。

特に1日12時間練習、ということは朝5時に起きて1日のうち半日をピアノに使っているということで、睡眠時間もままならなかったのではないでしょうか。

清塚さんの母親も「⼈はいつかず〜っと寝るときがくるんだから今は起きなさい!」と教育していたということで、時には睡眠を禁止されることもあったかもしれませんね。

厳しすぎる練習で苦労するも、現在は母親に感謝している清塚信也

(引用:Twitter)

しかし幼少期から凄まじいスパルタ教育をうけてきた清塚信也さんですが、当時のことを振り返ってインタビューの中でこう答えています。

「僕をプロにしたいという母の意志の強さと勇気はとてもすごいと思います。自分が踏み入れたこともない世界に子どもを行かせようとするなんて、一種の賭けのようなもので、決断力を越えていますね。僕にも2歳の子どもがいますが、同じことは決してできないです。だけど、今となっては母が僕にくれた愛情だと思って受け止め、とても感謝しています」

【引用元】https://jp.yamaha.com/sp/pianist-lounge/interview/shinya_kiyozuka/p1/

清塚さんの母親は音楽に関してド素人で、カラオケの前奏で歌ってしまうほどまったく音感がなかったそうですが、子供を音楽の一流として育てることに対する意志の強さと決断力に今では感謝している、と語っています。

また、自身のコンサートでの充実したトーク話術についても、

母が怖かったので、母への言い訳を考えていた子ども時代じゃないですかね(笑)。中学生の時に「話しながらコンサートしなきゃ」と感じた時、「恥ずかしいことはできないな。しゃべるからには何かしらの形にしなくては」という意識は既にあって。

【引用元】https://www.barks.jp/news/?id=1000172721

と語り、幼少時代に母への言い訳を考えていたことも話術を磨き上げられるきっかけになったと明かしています。

そして長時間のコンサートも、子供時代から1日の半分を練習に費やしていたためそれほどダメージがなく、むしろもっと弾いていられるとも語り、それも幼少期から受けてきた教育のおかげだと言っています。

清塚信也のwikiプロフィール

小さい頃から英才教育を受けてきた清塚信也さん、ここからは彼のプロフィールをご紹介していきます。

(引用:Twitter)

名前:清塚信也(きよづかしんや)

生年月日:1982年11月13日

年齢:[birth day=”19821113″]歳

出身:東京都

職業:ピアニスト、作曲家、俳優

事務所:トライストーン・エンタテイメント

レーベル:ユニバーサルミュージック

Twitter:https://twitter.com/ShinyaKiyozuka

日本人の父親と韓国人の母親の間に生まれた日韓ハーフである清塚信也さん。

一時は野球選手になりたくて運動をしたりもしていたようですが、小学校6年生の頃からプロのピアニストになりたいと夢を抱くようになったようです。

それまで周りよりも上達が早く、大きな挫折はなかった清塚さんですが、中学生の時に受けたピアノコンクールで予選落ちし、このままでは「負け犬になってしまう」という気持ちから学校を早退してまでとにかく練習に練習を重ねるようになり、指導者にも演奏を全否定されたりと地獄を味わったといいます。

しかし根気強さと意志の固さが母親ゆずりな清塚さん、コンクールで落ちてからの1年間は必死に練習し、1年後の全日本学生音楽コンクール全国大会中学校の部で優勝を勝ち取ることができました。

留学を機に、心境が変化した清塚信也さん

そんな中、ふと自分にはピアノしかなく、「ピアノマシーン」になってしまっていると気づき、周りから受け入れてもらえなかったり裏切られたと感じることが多くなり、誰も知らない土地へ行こうとロシアの「モスクワ音楽院」に留学することとなりました。

そこはとてもシビアな環境で、周りの学生たちも何も言わずがむしゃらに練習していましたが、それは本当に自分が求めているものとは違うと感じ、何も得られず2年後日本に帰国しました。

しかし帰国後には話し相手は家族しかおらず、これでは駄目だと少しずつ人脈を紡いでいくためお世話になった人たちに挨拶回りをしたり、プロデューサーや映画監督に自分の作品を売り込むため頭を下げてお願いに回ったりするようになったそうです。

その甲斐あって、映画「神童」、テレビドラマ「のだめカンタービレ」、「コウノドリ」などに清塚さんのピアノ演奏が採用され、年200回を超えるコンサートをこなし、2019年には日本人男性クラシックピアニスト初の日本武道館公演を開催し超人気売れっ子ピアニストとなったのです。

(引用:Twitter)

ちなみに2012年には女優の乙黒えりさんと結婚し、現在は2児の父なり、幼少期あまりゲームをさせてもらえなかった反動からかなりのゲーム好きという一面も持っています。

まとめ

壮絶な幼少時代を過ごしてきた清塚信也さん、母親の厳しい教育やピアニストになるまでの経歴をご紹介させていただきました。

計り知れない苦労や努力を重ねてきて今の清塚さんがあり、それは母親のスパルタ教育のおかげでもあるということでした。

その一流の腕前と軽快でユーモアのあるトークスキルを活かし、これからも様々な場所で活躍を見せて欲しいですね♪

最後までご覧いただきありがとうございました。