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【守護神】プロ野球歴代最強クローザー!登場した時の絶望感がヤバい!

さて、今回は各球団で絶対的守護神と呼ばれた選手の中でも、『日本プロ野球界における歴代最強のクローザーは誰だ?』という形でまとめてみました。

長い日本プロ野球の歴史の中で、数々の伝説のクローザーが誕生してきました。その中でも、特にこの投手が出てきたら、「もう終わったな」絶望感を感じた投手もいましたよね。皆さんの中にはどんな投手が思い浮かびますか?

いろいろな投手が浮かぶ中、私の個人的な意見が強いかもしれませんが、プロ野球歴代最強クローザーと思われる3選手をピックアップしてみました。実績はもちろんですが、登場した時の絶望感を感じたという部分を重視して挙げてみました。

賛否両論あるかもしれませんが、野球好きの皆で語り合う際のネタにでもしていただけたらなと思います。

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プロ野球歴代最強クローザー3選!


それでは、さっそくプロ野球歴代最強クローザーについてみていきたいとおもいますが、その前に皆さんの考える理想のクローザー像はどういったものでしょうか。

大きく分けると「圧倒的な球威でねじ伏せる投手」、「絶対的な球種を持ち三振を取れる投手」「抜群の制球力や緩急で打ち取る投手」でしょうか。すべてを兼ね備えた投手が勿論最強でしょうが、思い当たる投手はいますでしょうか?


実績を踏まえつつも、個人的に絶望感を感じた投手3名をまとめてみました。

まず、1人目はこの方!

佐々木 主浩(大洋・横浜→シアトルマリナーズ→横浜)

基本情報:1968年2月22日(53歳)190㎝ 98㎏ 右投げ右打ち 1989年ドラフト1位

通算成績:登板667 勝利50 敗戦54 セーブ381 ホールド1 投球回851 奪三振1093
被安打567 被本塁打83 与四死球326 失点282 自責点246 防御率2.60

MPB:登板439勝利43 敗戦38 セーブ252 ホールド1 投球回627.2 奪三振851
被安打402 被本塁打59 与四死球240 失点192 自責点168 防御率2.41

MLB:登板228 勝利7 敗戦16 セーブ129 ホールド0 投球回223.1 奪三振242
被安打165 被本塁打24 与四死球86 失点90 自責点78 防御率3.14

タイトル:最優秀救援タイトル(最多セーブ)5回・最優秀選手(MVP)1回・ベストナイン1回・最優秀投手1回・月間MVP 4回等

※最優秀救援投手は最多セーブと表記します。

日本プロ野球の歴代最強クローザーといったら最初に思いつくのは、やはり『大魔神・佐々木主浩』投手ではないでしょうか。8回までリードを許していたらもう負けでしたよね。9回に大魔神が出てきた時の絶望感は今でも忘れません。


正直、誰も打てる気がしませんでした。「まぐれでもいいから振ったバットがたまたま当たってホームランになれ」と願うぐらい、圧倒的な投球をしていたと思います。

190㎝の長身から繰り出される最速154㎞/hのストレート落差の大きいフォークボールでバッタバッタと三振の山を築き、マウンドに仁王立ちする姿は、まさに大魔神そのものでした。

佐々木投手の代名詞と言われるフォークボールは、『2階からのフォーク』とも呼ばれていました。落差が大きいだけでなく、カウントを取る遅いフォークと三振を取る速いフォークや、縫い目にかける指の調整で軌道を左右に振り分けることもできたそうです。

日本球界を代表するスラッガーの松井秀喜さんは、25打数2安打で打率.080ですよ。あのゴジラ・松井がですよ。松井さんからしたら顔も見たくない投手だったでしょうね。

経歴

佐々木主浩投手は、1989年に当時の大洋(現DeNA)にドラフト1位で入団し、1年目から2年目の途中までは先発として起用されることもありましたが、当時、抑えを務めていた遠藤投手の故障離脱により抑えに抜擢されることになります。

2年目の1991年8月28日の広島戦の9回に登板すると、見逃し5球、空振り4球、ファウルなしの「三者連続3球三振」と達成しています。圧巻!手も足も出ないとはまさにこのことですね。

5年目、1994年9月18日の広島戦では、7者連続三振を記録。この当時の巨人の担当記者が「悪魔の守護神」を略した「魔神」と表現すると、佐々木選手の風貌が大映の劇中キャラクター「大魔神」に似ていることもあり、「ハマの大魔神」が定着しました。

6年目(1995年)は怪我から完全復活すると、47試合に登板し、7勝2敗32セーブ 防御率1.75で最多セーブを獲得すると、7年目も2年連続の最多セーブのタイトルを獲得します。そして圧巻だったのが、1997年~1998年の8・9年目のシーズンでした。

8年目(1997年)、49試合に登板し、3勝0敗38セーブ 防御率0.90という抜群の安定感で3年連続最多セーブのタイトルを獲得。投球回60で奪三振99と奪三振率14.85!これは投球回数50イニング以上の記録では歴代1位の記録です。

さらに、被安打25 被本塁打6 失点6 自責点6とこの年に取られた点数は、ソロホームランによる6点のみです。まさにまぐれ当たりの一発という感じで、佐々木投手から連打で点を取ることは出来なかったということですね。

9年目(1998年)、51試合に登板し、1勝1敗45セーブ 防御率0.64という活躍で、横浜を38年ぶりの日本一へ導きます。2年連続で防御率0点台とこの2年間は、ほぼ打たれていません。まさに大魔神です。

プロ11年目(2000年)に海を渡り、メジャーリーグへ挑戦。序盤は打ち込まれる場面が見られ、中継ぎに降格するも再びクローザーの座を取り戻すと、当時のメジャー新人記録となる37セーブを挙げアメリカンリーグの新人王に選ばれます。

翌年には45セーブを挙げる等、メジャー4年間で129セーブを挙げる等、アメリカの地でも大魔神として君臨しておりました。

佐々木投手がいた頃の横浜は、8回までにリードしていればもう勝利は決まったようなものでした。テレビ中継を見ながら奇跡でもいいから打ってくれと祈りますが、まぁ起きませんでしたね。メジャーに行ってくれてありがとうと思うほどでした。

佐々木投手の全盛期の投球は本当に圧巻でした。ストレートとフォークボールに囚われがちですが、きっちりと投げ分けるコントロールもよかったですよね。そしてピンチでも動じない精神力。クローザーに必要な物を全て兼ね備えた投手だったのではないかと思います。

今回は、ランキング形式ではありませんが、9回に抑えで使うなら間違いなく佐々木投手の一択だったので、最初に名前を挙げさせてもらいました。

次に2人目ですが、正直3人目の方とどちらを先に挙げるか迷いましたが、登板時の絶望感という点でこの選手を先に挙げたいと思います。

藤川球児(阪神→カブス→レンジャーズ→高知ファイティングドッグス→阪神)

基本情報:1980年7月21日(41歳) 185㎝ 90㎏ 右投げ左打ち 1998年ドラフト1位

通算成績:登板811 勝利61 敗戦39 セーブ245 ホールド164 投球回962 奪三振1252
被安打664 被本塁打63 与四死球384 失点265 自責点233 防御率2.17

MPB:登板782勝利60 敗戦38 セーブ243 ホールド163 投球回935.1 奪三振1220
被安打633 被本塁打59 与四死球371 失点247 自責点216 防御率2.08

MLB:登板29 勝利1 敗戦1 セーブ2 ホールド1 投球回26.2 奪三振32
被安打31 被本塁打4 与四死球13 失点18 自責点17 防御率5.74

タイトル:最多セーブ2回、最優秀中継ぎ投手2回、月間MVP 2回 等

打者からは浮き上がってくると言われたストレートは「火の玉ストレート」とも呼ばれ、わかっていても打てないと言われたストレートを武器に、阪神タイガーズの絶対的守護神として君臨しました。全盛期の平均球速は149㎞/h、最速156㎞/hを計測。

藤川投手といえば、やっぱり2006年のオールスターゲームでのカブレラ選手(当時西武)との対戦ではないでしょうか。カブレラ選手といえば、規格外のパワーで当時の日本タイ記録となるシーズン55本塁打という記録の持ち主ですね。

そんなパワーヒッターのカブレラ選手に対して、全球ストレート勝負を宣言し、一度もバットに当てさせることなく空振り三振に取ったシーンは鳥肌が立ちました。漫画ですか?というぐらいメチャメチャかっこいいですよね。

ピッチャーをする人なら誰しもが一度は思うのではないでしょうか。ストレートだけの真向勝負で三振の山を築きたいと!しかし現実的には出来ないので、変化球などを駆使する中、藤川投手の投球と言えば約7割がストレートでした。

阪神ファン以外の方は、藤川投手がマウンドに上がると、今日は負けたなという絶望感を覚えながらも、ストレートで空振りを奪う姿にワクワク感も感じていた人もいたのではないでしょうか。

実際、私はその一人でした。なんか藤川投手だったらいいかみたいな、ストレートで三振に取られて負けたら、「やっぱり藤川球児スゲーな」という感覚になったのは私だけでしょうかね?絶望感を感じながらも、応援してしまうそんな投手だったなと思います。

経歴

高知県出身で、高校2年生の時に日本代表にも選ばれたことがあり、1998年のドラフト会議で、阪神タイガースから1位指名を受け入団しております。入団会見で、「10年後に優勝3回、胴上げ投手1回は経験している」と発言するなど、ビッグマウスを披露しています。

しかし、1年目(1999年)から5年目(2003年)までは、目立った成績を残すことが出来ずに、トレードの話や戦力外になる可能性もあったそうです。そんな中、2004年に転機が訪れます。肩の故障で2軍生活を送っていた時にフォームの改造と、中継ぎに転向します。

このフォーム改造とポジション転向によって、6年目(2004年)のシーズンの後半から1軍に定着し、31イニングを投げて35奪三振とその才能の片鱗を見せ始めます。

7年目(2005年)にはセットアッパーに定着し、ジェフ・ウィリアムズ投手久保田智之投手と共に勝利の方程式「JFK」が誕生します。80試合登板し、7勝1敗1セーブ46ホールド 防御率1.36 投球回92.1 奪三振139と圧倒的な成績を収めます。

「JFK」 は本当にヤバかったですね。この当時の阪神戦は6回までにリードを奪われていたら、「負け」を覚悟するしかないと絶望的な感じでしたよね。ただ、まだ藤川投手はこの時はストッパーではないですね。

8年目(2006年)も最初は中継ぎでしたが、久保田投手の故障で離脱したことに伴い抑えに定着することになります。63試合登板、5勝0敗17セーブ30ホールド 防御率0.68 投球回79.1 奪三振122 失点6 自責点6 と抑えでも安定した成績を収めております。

9年目(2007年)は開幕から絶対的守護神として君臨し、71試合登板、5勝5敗46セーブ6ホールド 防御率1.63 投球回83 奪三振115という成績で、初の最多セーブのタイトル獲得とリリーフ投手として史上初の3年連続100奪三振を達成しております。

この年のオフにポスティングシステムを利用してメジャー挑戦を希望しますが、球団から拒否され、メジャー挑戦は持ち越しとなっております。この時にメジャー挑戦できていれば、メジャーでの成績ももっと違っていたかもしれませんね。

プロ入り14年目(2013年)に海を渡りメジャーリーグへ挑戦しますが、怪我に苦しみ満足な成績を収めることができずに日本へ戻ってくることとなります。メジャーの屈強な打者をストレートだけで封じ込める姿が見たかったですね。もう少し早くいけていれば・・・

惜しまれながらも2020年に現役引退をした藤川投手ですが、全盛期の2005年から2012年までの期間は、通算奪三振率が12.81で、2010年まではストレートでの空振り率が約30%。リーグ平均は8%だったので、その異次元差がわかりますね。

藤川投手は、圧倒的な絶望感を感じさせながらも、野球人に夢を与えてくれるような、ワクワクさせてくれる投手だったなと思います。

続いて3人目ですが、日本プロ野球界の歴代最強クローザーを語る上でこの人は外せませんね。抜群の安定感で長きに渡り、中日ドラゴンズを支え、日本歴代最多セーブ・最多登板の記録を持つこの方です。

岩瀬仁紀(中日ドラゴンズ)

基本情報:1974年11月10日(46歳)181㎝84㎏ 左投げ左打ち 1998年ドラフト2位

通算成績:登板1002 勝利59 敗戦51 セーブ407 ホールド82 投球回985 奪三振841
被安打867 被本塁打42 与四死球274 失点274 自責点253 防御率2.31

タイトル:最多セーブ5回、最優秀中継ぎ投手3回、月間MVP 2回、カムバック賞1回等

岩瀬投手は、1998年に入団してから2018年までの19年間と長きに渡り中日ドラゴンズの投手陣を支えたレジェンドですね。実績やチームへの貢献・功績では、この3名の中ではナンバーワンではないしょうか。

左のスリークウォーターから繰り出せる最速149㎞/hのストレートに加え、高い制球力「死神の鎌」とも呼ばれたスライダーシュート等を武器に、打たせて取るピッチングでバッターを手玉に取り、抜群の安定感を誇りました。


先の2人と比べると登板時の絶望感は少し劣る気がしますが、岩瀬投手の凄いところは、圧倒的なボールで空振りを奪うタイプではなく、打ち取ってアウトを取るタイプの投手ながら、被本塁打がとても少ないんです。

実際、投球回数に対して、被安打数は3人の中では岩瀬投手が一番多いです。けれど、登板数と投球回数が一番多い岩瀬投手が、被本塁打数は断トツで少ないんですよ。ランナーは出ても、一発は打たれないので点は取られないという、ここが凄いところですね。

佐々木投手:登板数667  投球回数851 被安打567  被本塁打83 被本塁打率0.89

藤川投手  :登板数881  投球回数962 被安打664  被本塁打63 被本塁打率0.59

岩瀬投手  :登板数1002 投球回数985 被安打867  被本塁打42 被本塁打率0.38

経歴

愛知県出身で、高校の時にノーヒットノーランを達成したことがありますが、愛知大学では外野手として活躍し、大学オールジャパンにも選出されております。社会人野球のNTT東海に入社後は投手に戻り、社会人ナンバーワン左腕と評されるようになりました。

1998年のドラフト会議で、中日ドラゴンズを逆指名し2位で入団します。この時の1位指名は福留孝介選手でした。

1年目(1999年)から1軍での登板を果たすと、シーズン途中から勝ちパターンの一角を担うようになります。65試合登板し、10勝2敗1セーブ 防御率1.57と新人らしからぬ成績を収めますが、新人王は、この年20勝を挙げた上原投手に(巨人)に阻まれました。

2年目~5年目(2000~2003年)まで毎年50試合以上に登板し、当時の抑えだった宣銅烈やギャラードに繋ぐ中継ぎエースとして抜群の安定感を見せていました。宣銅烈とギャラードも良い抑え投手でしたね。

6年目(2004年)から抑えとして起用されるようになると、7年目(2005年)には46セーブを達成し、当時のシーズン最多セーブの日本記録を作ります。60試合登板 1勝2敗46セーブ2ホールド 防御率1.88 さらに60試合登板しながら被本塁打は0でした。


8年目(2006年)にも40セーブを挙げ、NPB史上初の2年連続40セーブを達成し、

9年目(2007年)には、リーグ優勝を果たすと日本シリーズの第5戦では、8回まで完全試合ペースの山井投手に代わり9回に登板し、NPB史上初の継投での完全試合を達成します。

この時の継投は驚きましたね。さすが落合監督というところもありましたが、あの場面をきっちり三者凡退に抑え、完全試合を達成させた岩瀬投手が見事でしたね。ただこの継投の裏には、ちょっとしたコミュニケーションのかけ違いがあったようです。



その後、15年目(2013年)のシーズンまで毎年当たり前のように50試合以上に登板し続け、15年連続50試合登板の記録9年連続30セーブなど連続記録を数々打ち立てていきます。

2018年に引退するまでの19年間で積み上げた登板数は1002となり日本プロ野球界歴代最高の記録を更新しました。セーブ数も407とこれも歴代最多の記録です。1シーズンの平均にしたら、52.7試合21.4セーブを19年続けるということですよ。凄すぎます。

中日ドラゴンズの黄金期を支えた守護神・岩瀬投手、浅尾投手との8回、9回は絶望的でしたね。「お願いだからコンロトールミスしてど真ん中に投げて」と願いますが、投げてくれないんですよね。その辺が超一流の証でしょうね。

まとめ

さて今回は、プロ野球歴代最強クローザーは誰だ?ということでみてきましたが、いかがだったでしょうか?みなさんの意見と一致しましたでしょうか。

私が監督だったら、7回:藤川投手、8回:岩瀬投手、9回:佐々木投手でいきます。「JFK」ならぬ「FIS」結成です。こんな妄想しながら野球の話をするのって楽しいですよね。

この3名以外で迷ったところでは、ヤクルトの高津投手ソフトバンクのサファテ投手等も悩みましたね。あと、個人的に好きだった抑え投手としては、中日の宣銅烈投手ソフトバンクの馬原投手「炎のストッパー」と呼ばれた広島の津田恒美投手などよかったですね。

ほとんどOBの選手になってしまっていますが、現役選手では、横浜の山崎康晃投手楽天の松井祐樹投手広島の栗林投手がいいですよね。山崎投手は近年不調が続いていますが、自信を取り戻して、新ハマの大魔神として君臨してほしいですね。

今後、このレジェンド戦士達を超えるクローザーは現れるのでしょうか?

毎年楽しみな選手が次々に出てくるので楽しいですよね。これだから野球ファンは辞められませんね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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